バスケットボールのBリーグ、世界初のプロダンスリーグであるDリーグのスポンサーとしてXR、NFTなどの最新テクノロジーを惜しみなく投じるソフトバンクは、NTTドコモ、auそして楽天と他携帯電話会社、いわゆるキャリアと呼ばれる通信事業会社からは一歩リードし、スポーツ界でさまざまなソリューションを具現化している。
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AIを駆使したスマートコーチ・サービス、XRを具現化するスタジオ、ダンス映像を捉えたNFT、そしてバーチャルPayPayドームなど他社がサービスインにたどり着かないソリューションを次々とローンチしているのだ。

ソフトバンクのソリューションを具現化する「xRスタジオ」 撮影:SPREAD編集部
そんな数々のプロジェクトを牽引するのがソフトバンク株式会社サービス企画本部・原田賢悟本部長だ。
原田賢悟(はらだ・けんご)
●ソフトバンク株式会社サービス企画本部・本部長
1971年12月15日、千葉県出身。順天堂大学 体育学部卒業。1994年、近畿日本ツーリスト株式会社入社。2000年、J-フォン東京株式会社(現・ソフトバンク株式会社)入社。07年、日本生命保険相互会社入社。09年、ソフトバンクモバイル株式会社(現・ソフトバンク株式会社) 入社。移動機メーカー調達担当などを経て、2017年、スポーツ事業統括部門の統括部長としてスポーツコンテンツを担当。19年、コンテンツ推進統括部門の統括部長として5Gコンテンツ全般を担当。2020年、サービス企画本部 副本部長、22年1月、同本部 本部長に就任。5Gサービスやグループ会社とのシナジー全般を担当する。
■旅行代理店から「J-フォン東京」に入社

2020年のDリーグ・スタート時、記者会見の壇上でソフトバンクの取り組みを解説する原田本部長 撮影:SPREAD編集部
数々のITソリューションを手掛けるだけに、デジタル・トランスフォーメーションの権化のようなキャリアを歩んできたのだろうと話を聞くと「いえ、新卒は近畿日本ツーリストでした」と開口一番。その後2000年、当時の「J-フォン東京」に入社、ボーダフォンなどの時代を経て現職に至るという。これで合点がいく。「これからは携帯電話だ」と時代を先取りしての転職キャリアだ……。
「いえ、特にそんなこともありません。当時はまだ携帯電話が爆発的な普及に至る前だったので、求人誌『B-ing』を開いたら、1ページ目に『J-フォン東京』という名前があって応募したのです。実は先に前職を辞してしまったので『働かなきゃ!』という一心でした」とあっけらかんと明かした。
J-フォン東京は、東京デジタルホンとして1991年設立、99年10月にJ-フォン東京へと社名変更する。この間、97年には携帯電話で初めてEメールの送受信が可能となり、2000年11月には世界で初めてカメラを搭載した携帯電話が発売された。これにより「写メール」が登場、2001年頃から携帯電話端末が爆発的に普及する契機となった。2003年にはJ-フォンはボーダフォンへと社名変更、さらに2006年にソフトバンクグループの傘下となり、現在のソフトバンクへと姿を変える。
なるほど、その過程で原田さんはデジタル・ソリューションの専門家へ変貌を遂げ……。「いえ、とにかく代理店営業でした。旅行代理店勤務時も営業職だったもので。弊社は当時、NTTドコモさん、IDOさんに押されていた弱小キャリアでしたから、とにかく新しい代理店さんの開拓から携帯電話の販売まで徹底的に営業に回っていました。その後、代理店営業から営業企画部門に入り、店頭向けの企画などを担当していました。まったくデジタル・ソリューションに向かう業務ではなく、その予兆すらありませんでした」と笑い飛ばす。