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西川周作がプロになってからずっと続けてきた、ある習慣とは…田舎から出るのが怖かった少年時代

西川周作がプロになってからずっと続けてきた、ある習慣とは…田舎から出るのが怖かった少年時代
(c) NIKE

日本サッカーの強化・育成を目的に、世界基準のトレーニングを提供している「NIKE ACADEMY TOKYO」

11月22日、その特別セッションとして「NIKE ACADEMY ALWAYS FOWARD MASTERCLASS」が大原サッカー場(埼玉)で開催された。これは「スピード」と「精密なタッチとコントロール」を体現するプレーヤーを育成するために開かれたプレミアムクリニックだ。

この日は、「NIKE ACADEMY TOKYO」のセッションを過去にも受講したことのある、和田育(阪南大高)高木一史(JFAアカデミー福島U-18)ら高校生2名が浦和レッズの練習に参加。

普段トップレベルのオフェンスと対峙している元日本代表である西川周作選手とも話を交わした高校生2人。

西川選手は高校生を含めた若い世代に、「どんどん下から上の選手を追い抜いていって欲しい」と期待をかけている。

編集部はイベント終了後、西川選手に高校時代に抱いていた思いや、プロとして続けてきてよかった習慣などについて話を聞いた。(聞き手=大日方航)

(c) NIKE

—:こうやって高校生がプロの練習に参加するということについてはどう思われますか。

西川周作選手(以下、敬称略):レベルの高い選手は、年齢関係なくJリーグの選手と一緒に出来るようにならなくてはいけないと思っています。

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僕たちが高校生の時、トップに参加する選手は少なかったのですが、今の高校生を見ているとすごく堂々としていて、気持ちの部分もしっかりしている。

どんどん下から上の選手を追い抜いていって欲しいですね。

—:「FWにやられて嫌なプレーを教えて欲しい」という質問が高校生からきていました。

西川:技術もそうですがDFの背後を狙って動いたり、ポストプレーに入ってきたり、動きのところでDFラインをかき回すようなプレーをしてくるのは僕としては嫌なタイプだな、と。頭の中で相手フォワードに色々考えさせられている時点で負けだと思っているので。

Jリーグでいったら佐藤寿人選手のようなタイプですかね。得点能力もすごいし。

(c) Getty Images 佐藤寿人選手

—:プロに混じって練習するという今回のプロジェクトは、高校生にとっては大きな挑戦となったはずです。自身のサッカー人生を振り返って、西川選手にとって大きなチャレンジだったなと思える瞬間はありますか。

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西川:今思えば何をやっていたんだろうという感じの話なんですが……。

中学生のとき大分県選抜に選ばれたんです。でも、それまで僕は大分市内ではなく宇佐市という田舎でプレーしていたので、怖かったんです。

チームから1人選ばれたのですが、当時は人見知りだったので、親に「練習行くよ」と言われても「行きたくない」と駄々をこねてしまって。

練習行かなかったんで当たり前だったんですけれど、夏のメンバーに入れなかったんですよね。

そこではじめて悔しさを感じ、練習に行くようになり冬のメンバーには選ばれることができたんです。

小さいことですけれど、僕にとって田舎から大分市内にいくのは、結構チャレンジでした。

中学の時にはキーパーコーチがいなかったんです。県選抜に入ったらキーパーコーチがいて、はじめて基礎を教えてもらいました。今までの基礎は全く基礎じゃなかったな、と。

ほぼオリジナルでやっていたので、キーパーコーチに基礎を教えてもらったときの感動というか、「これがキャッチの仕方なのか」という驚きはすごくありました。

(c) NIKE

—:「当時は人見知りだった」とありましたが、サッカーを続けてきたことで性格の変化などかなりあったということでしょうか。

西川:変わりましたね。挨拶とかも笑顔でできるようになりましたし、人と人との繋がりを、サッカーをしながらすごい実感しました。

ファンやサポーターを大事にすること、挨拶をしっかりすることはこれからも大事にしていこうと思っています。

—:「人と人との繋がり」ということですが、今まで刺激を受けたサッカー選手などはいらっしゃいますか。

やはり、圭介(本田圭佑選手)はすごかったですね。

昔から自分のビジョンを持ってプレーしていた。彼のすごいところは有言実行するというところ。本当に大事なところで点を取るし、結果を出します。そういう星に生まれているのかな。

彼以上の選手は今までいないです。同い年ですけど、彼が話すときはみんなが聞き入りますし。彼の発言力、影響力はすごい。圭介はサッカーに関する欲を持っている。とにかく練習するし、負けず嫌いだし、メンタルの強さなどすごい。

その辺りは自分には足りないところだったので、見習わなきゃと思わされていました。

(c)Getty Images

—:高校時代、もっとこうしておけばよかったことなどはありますか。

西川:海外に行ける土台づくりをしておけばよかったですね。大分(2005年~2009年まで大分トリニータに所属)にいた時も、イタリアに渡って練習参加できる機会があったんです。

でも、「怪我をしてはいけない」というチームの都合があったり、語学力不足だったりが理由で、結局行けませんでした。

サッカーをするなら、語学は自分の幅を広げるために非常に必要になってくる。

語学さえできれば海外に行くチャンスももちろんあったと思いますし、語学は(現地に)行ってしまえばいいとも聞きますけれど、それでも下準備はしておいたほうがいいとは思います。

(c) NIKE

—:現在チャレンジしていきたいことはどういったことですか。

西川:プレーヤーとしてできるだけ長くやっていきたいですね。川口能活さんが先日引退されましたけれども、まだ楢崎(名古屋グランパスに所属する元日本代表ゴールキーパー、楢﨑正剛選手)さんという憧れの選手が現役でいるからには、自分も先輩たちの年齢を超えるくらいプレーを続けていきたい。

(※)サッカー日本代表のゴールキーパーとして4度のワールドカップ(W杯)に出場したSC相模原の川口能活選手は12月2日、今季の最終戦で引退した。

川口さんのようなレジェンドがサッカー界からいなくなって寂しいですけど、自分もそういった存在なれるように、まだまだ日本代表も目指しながらやっていきたい。

サッカーは辞めたくないですが、いつか辞めなければいけない瞬間がくる。そうしたら、自分の経験値というのをキーパーコーチとして教えていきたいですね。場所はわからない。でも地元の大分県が好きなので、地域貢献みたいな感じでイメージはしていますね。

(c) Getty Images 川口能活氏

(c) Getty Images 楢﨑正剛選手

—:プロとして活動してきて、続けてきてよかった習慣のようなものはありますか。

西川:朝昼晩食べて、早寝早起き。ここが自分の生活スタイルでは変わっていないです。これは大事にして来てよかったと思います。高校時代に寮に入ってから、ずっと同じリズムで生活しています。

意外と、継続するのは大変。いかに継続するかはサッカーの世界においては大事になってきます。

—:そうした習慣を続けていく上で、意識してきたことはありますか。

西川:無理してその場(食事会、飲み会など)に行かないことですね。誘われても全部行くのではなく、自分にメリットになるのかデメリットになるのかしっかり考えて断る勇気は大事だと思います。

プロになって、そういう考え方ができました。応援してくれる人がいれば、こいつを蹴落としてやろうという人もいる。色々な人がいる。人を見るのはそれぞれ自分の判断だと思うので。

—:どういったタイミングでそういった考え方を抱くようになったのですか。

西川:プロになって、20歳を超えるとお酒も飲めるようになります。自分で気づいたというよりは、周りの先輩を見て学んだ部分が大きいですかね。

やはり、プロになってまだ若いのにお酒を呑み歩いている先輩を見ていると「よくないな、チャンスを潰している」という風に思えて。「プロになって満足している」だけのような。そういうところは真似しないようにと思いました。

編集後記

練習ではにこやかに、かつ大きな声で各選手に指示を飛ばす西川選手が、昔は「人見知り」だったいうのも意外で面白いエピソードだ。

「人見知り」と言うと、「それは人見知りではないだろ!」とツッコミたくなる軽度なものから、それなりに重度のものまであるが、西川選手の人見知りエピソードは確かに、日本代表まで上り詰めたトップ選手とは思えないようなものではあった。

大分県宇佐市という本人曰く「田舎」で育った西川選手。中学生のとき見事、大分県選抜に選ばれた。

しかしながら、都市に出るのが怖く、かつ人見知りのため親に「行きたくない」と駄々をこねたというのだ。

(c) NIKE

結局、練習を休んでいて県選抜の夏のメンバーに選ばれなかった西川選手。そこで一念発起し、周りから見たら小さな一歩でも、本人にとって大きな一歩だった「田舎から出る」という行為を成し遂げたのだ。

この小さな一歩から、サッカーを通して西川選手の性格も少しずつ変わっていった。あの時前に進めたおかげで、今の西川選手がある。

また、プロになってから「朝昼晩食べて、早寝早起き」といった習慣を継続してきているのも当たり前のように見えて、かなり自分を律しないと難しいことだろう。

先輩選手の堕落行為を真似せず、流されなかったからこそ西川選手は一歩一歩進んで来れたのだ。

《大日方航》

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西川周作選手経歴

(c) Getty Images

  • 生年月日:1986年6月18日
  • 出生地:大分県宇佐市
  • 身長/体重:183cm/81kg
  • 出身:宇佐市立四日市南小学校,宇佐市立駅川中学校,大分東明高校
  • サッカー歴:宇佐FCJrユースー大分トリニータU-15ー大分トリニータU-18ー大分トリニーターサンフレッチェ広島ー浦和レッズ(2014年)
  • 日本代表A:31試合出場(2018年1月末現在)
  • 公式戦デビュー:2005年5月21日 柏1-0 大分(NC)
  • Jリーグデビュー:2005年7月2日 大分0-2 横浜FM