この欄に執筆する機会を得て、最初の作品を掲載してもらえたのが1年前の8月26日である。ちょうど一年が経つが、そのときのテーマが『強打者にバントをさせることについて』だった。
プロ野球でも有数のスイングスピードを誇り、FAでオリックス・バファローズへの移籍後も四番を張り続ける西武時代の森友哉にバントをさせて誰のバットに期待しろというのか、と当時の監督は思ったのではないかと私は推察したのだが、監督経験のある解説者が「監督としては助かる」と即答したことの驚きから私のコラムは始まった。
◆「監督としては助かる」は本当か、クリーンナップの送りバントに物申す
■報道する見出しは「執念の采配」
その後の一年の間でも、日本の野球界全体がバントこそもっとも得点につながりやすい作戦だと信じている証拠があふれている。
昨夏の甲子園直後に行われたU18ワールドカップで指揮を執った明徳・馬淵史郎監督は、後のドラフト1位浅野翔吾に何の迷いもなくバントを命じた。それを報道する見出しは「執念の采配」である。彼にバントを一度もさせなかった高松商長尾監督には執念が足りなかったと、この見出しをふったメディアは思っていることになる。
ワールドベースボールクラシックの監督に就任した栗山英樹監督は、長嶋茂雄巨人終身名誉監督との対談で「大谷翔平にも場面によってはバントを」という「金言」が授けられたと記事には載っている。これを執筆した記者も、何年も野球の取材を続けたはずで「メジャーで三冠王を争う打者がバントをすれば相手バッテリーが喜ぶだけだ」とは思ってもみないようだ。
また、強打者がバントをしたときの中継で解説者が「どうしても先取点がほしいということです」といえば、ベテランアナウンサーでも「ではこの打者がバットをフルスイングしたら監督はどうしても先取点がほしいとは思ってないということでしょうか」と突っ込むことは無理だと思う。
■バントは簡単なプレーではない
今年の甲子園でも、3回戦で慶應に敗れた広陵・中井監督は同点で迎えた9回裏無死一塁の場面で、広島のボンズと呼ばれる真鍋慧に送りバントを命じた。彼の高校生活最後の打席はバント失敗、三邪飛ということになってしまった。
広島大会からそれほど調子が上がっていなかったとか、打たせて併殺が怖いとか、ずっと練習と試合を見てきた監督の判断も理解はできる。まずはサヨナラの走者を得点圏に送るということで相手投手や守備陣にかかるプレッシャーをかけられるということかもしれない。
問題は真鍋が日ごろバントをする機会があったかどうかである。これほどの強打者なら試合でも練習でもバントをしたことがないかもしれない。夏の甲子園の最終回という究極の場面でそれまで経験のないのに決められるほどバントは簡単なプレーではない。
プロ野球でも主力打者にバントをさせて、それが監督の執念だという評論は多いけれども、もしかすると日ごろから「バントの練習をする時間があるならその分一本でも多く素振りをしろ」という指示を受けているかもしれない。
■「バントが最上の作戦」との思い込み
それでもこうして強打者へのバント指令が後を絶たないのは、球界の重鎮から野球報道機関やOB関係者や選手保護者も含めて、「バントが最上の作戦なのだが選手のプライドを慮ってそれを避けている。そこでバントをさせたら監督は打つべき手を打ったことになる。それを失敗したり、成功したのに後続打者が倒れたりするのは監督のせいではなく選手のせいだ」という日本球界あげての思い込みから抜けられないでいるのではないだろうか。
もちろん強打者だって3割前後の確率でしかヒットを打つことはできないが、それより非力な打者のほうに期待をかける理屈が見つからない。
これは1年前にも書いたことだが、チーム最強打者の場合の話である。実は、最強打者以外の場合でも、バントが最善とは思えない場面がある。
投手の立ち上がりのときだ。初回先頭者打者の出塁をヒットか四死球で許した場合、次の打者が送りバントをしてくれたら、走者を得点圏に進めてしまうものの、その試合の最初のワンアウト取ることができる。
各イニングでふたつのアウトの間に点を取らなければならないのに、そのうちのひとつをやすやすと相手に渡してしまうことのデメリットをもっと日本球界は重要視するべきではないだろうか。選手のプライドやエンターテインメントの観点でいっているのではない。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。