甲斐拓也との共通点
今年、ホークスの甲斐拓也捕手が背番号を62から19に変更。「大先輩の野村克也捕手の背番号に変更しました」というTVのニュース報道を眺め、「おっと、辛口のノムさんはどう思うかな」と考えていたところ、本人の著書『もしものプロ野球理論』(ワニブックス 2019刊)にこんな記述を見出した。
「俺も長い間、南海でキャッチャーをやって、歴代のホークスのキャッチャーを見てきたけど、今はいい(中略)彼はいい。文句ないよ」と甲斐選手をベタぼめ。甲斐選手は2010年ドラフトにて育成枠のさらに6位で入団。全体97人中実に94位指名。
「ソフトバンクが2年連続(筆者中:2019年も含め3連覇)で日本一になったのは、MVPになった甲斐のおかげだよ」
「よくここまで這い上がった。そういう雑草魂みたいなところも、俺と共通しているんだよ」
そんな甲斐選手の19番を眺め、安心して旅立ったのだと思いたい。

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野村克也が「残したもの」
スワローズ時代に見出した選手の多くは現在、球界の指導者として活躍している。侍ジャパン稲葉篤紀監督、楽天の石井一久GM、ヤクルトの高津臣吾監督、池山隆寛2軍監督、伊東昭光編成部長、ロッテの吉井理人投手コーチ……過去には真中満さんもヤクルト優勝監督、古田敦也さんも選手兼監督経験者、昨年までヤクルトのヘッドコーチを務めた宮本慎也さんは、監督としての資質をもっとも評価していた。
ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手はツイッターにこんなコメントを残している。
「突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします」(原文ママ)

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燕党、そして、いち野球ファンとして賛同以外にない。
「人間は何を残すかで評価が決まる。人を残すのが一番。そういう意味では少しは野球界に貢献できたのかな」
その言葉を振り返ると、こうして列挙した野球人、そして我々のような一般の野球ファンを残してくれたのが、ノムさんの最大の功績ではないだろうか。
野球の見方を、野球の楽しさを教えてくれたノムさん、本当にありがとう。そして、さようなら。
著者プロフィール
たまさぶろ●スポーツ・プロデューサー、エッセイスト、BAR評論家
週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。CNN本社にて勤務。帰国後、MSNスポーツ、MLB日本語公式サイト・プロデューサー、プロ野球公式記録DBプロジェクト・マネジャーなどを歴任。エッセイスト、BAR評論家として著作『My Lost New York~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』『麗しきバーテンダーたち』『【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR』などあり。