20世紀、日本人にとってMLBオールスターは、あまりにも遠い存在だった。
1964年、つまり第1回東京五輪が開催された年、村上雅則という若者がサンフランシスコ・ジャイアンツから「ひっそりと」MLBデビューを果たした。彼は日本人初、アジア人としても初のメジャーリーガーだったが、そんな事実さえ日本球界では長い間忘れ去られていた。
■【MLBオールスター】大谷翔平は「1番DH」で先発投手 スタメン、試合時間、中継情報、結果速報(日本時間 7月14日)
■激動の時代に、野茂英雄がメジャーデビュー
20世紀も残りわずか、世紀末の1995年、またひとりの若者がメジャー・デビューを果たした。野茂英雄だ。村上の登板など忘れ去られていた時代だけに「日本人はメジャーで通用するのか」という議論を巻き起こした。前年、MLBはストライキによりシーズン打ち切り。1903年に始まったワールドシリーズは2度の世界大戦中も中断されることなく開催されて来たにも関わらず、前代未聞の未開催。アメリカの野球ファンからは、「金持ちのいがみ合い」とそっぽを向かれた。
アメリカにおける野球人気凋落を救ったのが野茂とさえ言われる。
野茂のデビューもまた、後の松坂大輔や田中将大のそれを比べると少々ひっそりとしたものだった。近鉄バファローズとの契約がこじれ、自由契約となって海を渡った。島国根性たっぷりの日本球界からは、まるで裏切り者扱いされる始末。当時「メジャーでなぞ、通用しない」という論調が大半だった。
■「通用するのか」を飛び越え一気に「オールスター」
ストの影響や初めて尽くしの契約により、野茂の公式戦デビューも5月2日と遅く、そこから約ひと月、勝ち星にも恵まれなかった。ところが6月2日のニューヨーク・メッツ戦で初勝利を上げると、前半戦で6勝1敗防御率1.99という抜群の成績を挙げ、オールスター出場を決める。このひと月の野茂の活躍は「彗星のごとく」現れたという言葉がぴったりだった。6月だけに限れば6勝で土付かず、防御率0.89という驚異的な数字で月間MVPとなった。
「通用するのか」が、またたく間に「オールスター」だ。ナショナル・リーグの先発はこの1995年まで4年連続サイ・ヤング賞を獲得することになるアトランタ・ブレーブスのグレッグ・マダックスと見られていたが、球宴直前に故障者リストに。かくしてナ・リーグの先発は野茂となる。対するアメリカン・リーグは、この年から5度のサイ・ヤング賞獲得したシアトル・マリナーズの背番号51、ランディ・ジョンソン。
この投げあいを目撃することのなかっただろう、今の若い野球ファンが不憫でならないほど。
今日の大谷翔平を眺めるように、ニューヨークの自宅にて大興奮しながら見入ったものだ。
■MLBオールスター日本人初先発で快投披露
野茂は先発として2回を投げ3奪三振無失点被安打1。ア・リーグのラインナップは1番からケニー・ロフトン、カルロス・バイエガ 、エドガー・マルティネス 、フランク・トーマス 、アルバート・ベル 、カル・リプケンJr. 、ウェイド・ボッグス 、カービー・パケット 、イバン・ロドリゲス。「I-Rod(ロドリゲスの愛称)」が9番という驚異の打線を相手に……だ。特にこの年のホームランダービーを制したトーマスとの対戦など、今年のお祭りムードなどと異なり、まさに手に汗しながら見守った。
もっともイキり切って見ていたのは、ファンだけだったかもしれない。オールスターのグランドで、日本では見ることができなかったほど満面の笑みで楽しむ野茂が、ひどく印象に残っている。