日本の小さな巨人こと西岡良仁は、170cmの身長から多彩なフットワークを使い分け、どんなボールに食らいつく。そのフィジカルの強さに加え、相手を見定め攻略する柔軟な頭脳と高度なテクニックに、ライバルたちは「西岡との試合は常に難しい」と充分な警戒を示す。
だが、この西岡らしいテニスを取り戻しだしたのもこの2カ月間でのこと。昨季からの不調の波を超えることが出来ずに始まった今季、アデレード国際から全豪オープンまでの3大会連続で1回戦負けを喫し「このまま勝てなかったら僕はあと2年だと思います」と砕けきった胸の内を吐露していた。
◆【車いすテニス】シニアにステップアップ 四大大会に挑む小田凱人にかかる期待
西岡のコーチであり兄の西岡靖雄さんは、この歯がゆい連敗の要因のひとつを「男子も女子も一気にテニスの質が変わったので、多くの選手が苦労していると思います。もちろん良仁もその一人でした」とし、よりパワーテニスへと傾く現代テニスの風潮に対応する中での出来事と捉えていた。
■自分のテニスに立ち戻る
世界の第一線に立ち続けるなかで選手はみな、今まで以上に攻撃力の高さを求められている。それは170cmの身長からパワーテニスを封じる類まれなゲーム能力を持つ弟の良仁にとっても例外ではなかった。
「良仁も、より自分から攻撃できるプレースタイルに変えていこうと昨年から取り組んできました。練習内容もオフェンス要素に大きく振り切り、ガットも反発力が高いパワー系のものへと変えた。ベースのポジションも従来よりも上げてプレーし、今のトレンドとも言えるビッグサーブにビッグフォアのパワーテニスに対抗できるように考えてきました。でも結果的に良仁は自分を見失い、自身のテニスが分からないところまで追い込まれてしまいました」。
西岡の足を引っ張った理由には、昨季まではコロナ禍の影響で大会数が減っていたことも関係していた。今までであれば同週に2大会ほど同じグレードの大会があったが、コロナ過から開催できる地域も限定されたことにより選手たちが1か所に集まり、どの大会もハイレベルになった。そのなかで1勝を挙げることはタフだったと語る。特にアジア・オセアニアでは大会が極端に減り、日本人選手はアメリカやヨーロッパへと遠出し、長い遠征生活を強いられることもストレスの一つだった。
それに加え、右手首のケガから生まれたバックハンドの不調や、より良き自分になるために模索し新しく作り替えた攻守の比重、年齢を重ねるごとに変化していく疲労と回復のバランスなど……時の移り変わりから起こるものとの対峙でもあった。
西岡が「彼はスペシャルだから」と尊敬している錦織圭がケガで不在の中、日本のテニスを引っ張り上げようと奮闘する気持ちが苛立ちや不安を煽ったこともあるだろう。肩を落とし「自分のテニスじゃない気がする」とこぼす西岡を前に、靖雄さんは「もう一度、負けないテニスをやってみよう」と声をかけたという。
そのシンプルな助言から西岡は息を吹き返す。
全豪後にはガットをコントロール性の高いものに変更し再出発、向かったコロンバス・チャレンジャーでは見事に優勝を飾り、翌週のクリーブランド・チャレンジャーで準優勝した。この10試合で本来の戦い方を思い出すかのように躍動した西岡は、もう一度ツアーで戦う自信を手にすることができたという。