【フィギュア】『プロローグ』に見た「これからも羽生結弦として生きていきたい」の意味

 

【フィギュア】『プロローグ』に見た「これからも羽生結弦として生きていきたい」の意味
プロとして『プロローグ』を披露した羽生結弦 11月4日、横浜 (C) Getty Images

■悔しさをバネに声援を力に変えてきた

「獲るべきものは獲ったし、やるべきこともやった」。

羽生がこう語ったのは、2018年平昌オリンピックで金メダルを獲得したあとだった。その後は、誰も成功したことのない4回転アクセルへの挑戦をエネルギーにして競技者生活を送ってきた。

2019年には「いまは本当にアクセルをやるためにスケートをやっているなって思うし、そのために生きてるなって思います」と語っている。

2020年から世界中に広がった新型コロナウイルスの影響で、羽生も苦しんだ。拠点としていたカナダ・トロントで練習することができず、コーチも不在。孤独な戦いを強いられることになった。

2020年12月の全日本選手権のあとにはこんな言葉を残している。

「みんなすごい上手で、みんなうまくなってて。1人だけ、ただただ暗闇の底に落ちていくような感覚があった」。

そんな時にモチベーションとなったのは観客の存在だった。

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「その時だけでも、僕の演技が終わってから1秒だけでもいいので、少しでも(苦しんでいる人たちの)生きる活力になったらいいなと思う1年でした」(2020年12月、全日本選手権後のコメント)。

悔しさをバネに、声援を力に変えてきた羽生。

「五輪って、発表会じゃないんです。やっぱり僕にとっては〝勝たなきゃいけない場所〟なんですよ」と言って挑んだ2022年2月の北京オリンピック。4回転アクセルに挑んだものの、その勢いを体が受け止めることができずに転倒(回転不足の判定ながら、国際スケート連盟公認の大会で初めて4回転アクセルとして認定された)、3大会連続の金メダル獲得もかなわなかった。

しかし、羽生は羽生結弦であることをやめなかった。

僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です」(2022年7月の会見で)と語っているにもかかわらず。

これまでの歩み、功績はみんなが知っている。しかし、これからどこに向かうのかはまだ誰にもわからない。

「一つ一つの演技に全体力と全神経を注いで、ある意味では死力を尽くして頑張りたい」(2022年7月の会見)という熱い思いが彼にはある。

これからも羽生結弦として生きていきたい」――ならば、これからも羽生を追いかけるしかない。

※文中のコメントはすべて『羽生結弦語録Ⅱ』より。

◆羽生結弦、プロ転向へ「決意表明」冒頭コメント全文 「僕は本当に幸せです」

◆プロ転向の羽生結弦 競技会での目標は完遂「獲るべきものは獲れた」

◆羽生結弦、現役引退を表明 今後はプロ転向へ「4回転半ジャンプへの挑戦は続けたい」

著者プロフィール

元永知宏●スポーツライター
1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。

著書に『期待はずれのドラフト1位』『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』『野球と暴力』(イースト・プレス)、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)、『甲子園はもういらない……それぞれの甲子園』(主婦の友社)など。