12月2日に開催された福岡国際マラソンで、日本歴代8位の2時間7分27秒で優勝した服部勇馬選手。日本人の優勝は、2004年以来、14年ぶりの快挙だった。同選手はレース後の12月11日、都内で複数メディアの取材に応じた。
レース後に「これまで、“3強”(大迫傑選手、設楽悠太選手、井上大仁選手)と言われていたが、これで確実に“4強”になったと思う」と述べた尾縣貢(おがたみつぎ)日本陸連専務理事。”マラソン四天王”の一角に数えられることになった服部選手は、「素直にすごく嬉しい」と喜びを露わにした。

2月25日に行われた東京マラソンで、設楽悠太選手が2時間6分11秒で日本記録を16年ぶりに塗り替えたとき。服部選手は、40km過ぎの沿道で参加選手たちを応援していた。右足アキレスけんを故障しているタイミングだった。
その時の思いを「なかなか走れない中でそういうタイムを出されたので、『先に行かれてしまった』という思いが強かったです」と明かした。
同年の10月7日に行なわれたシカゴマラソンで、大迫傑選手が2時間5分50秒と日本記録をさらに更新。東京マラソンで設楽悠太がマークした記録を21秒更新して、日本人初の2時間5分台に突入した。
この時、設楽選手が日本記録を更新した時に感じた焦燥感は、さらに増した。
「大迫さんが日本記録を出したときは、僕も福岡(福岡国際マラソン)に向けたマラソンのトレーニングが一番きつい時期だったんですけれど、またさらに『先を行かれてしまった』というか(笑)」
ただ、同時に前向きな思いも湧き出てきた。
「日本人で5分台を出せるんだという可能性を、僕自身感じたというか。先に行かれてしまったんだけれど、僕も届かないところではないのかなと感じた」

今回のマラソンで結果を出したことによって、さらに上のレースを実現できる自信は、さらに深まったはずだ。
「2時間5分台」という具体的な記録についても、「レース全体で1分半縮めるとなるとなかなか見えてこない部分もありますが、1kmごとのラップタイムと余裕具合を調整することによって(2時間5分台の)レースを作ることになる。まだ今回の記録では1キロで3分1秒がアベレージですが、それをどれだけ余裕を持ちながら1km2分59秒、58秒に近づけていけるか、だと思います」と淡々と語った。
「タイム自体は井上さん、大迫さん、設楽さんに比べるとまだまだですが、これまで課題であった”終盤の走り”というのがこれからは武器になってくると思いますし、僕が思い描いていた走りには少しずつ近づいているというか。僕のストロングポイントが、(他のランナーとの)差が生まれる35kmからになってくる」
《大日方航》
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