服部勇馬の練習法を変えた、逆転の発想とは?…練習量が「勝手に増えた」

 

服部勇馬の練習法を変えた、逆転の発想とは?…練習量が「勝手に増えた」

12月2日に開催された福岡国際マラソンで、日本歴代8位の2時間7分27秒で優勝したトヨタ自動車の服部勇馬選手。日本人の優勝は、2004年以来、14年ぶりの快挙だった。同選手はレース後の12月11日、都内で複数メディアの取材に応じた。

課題は「35km以降」

今までのマラソンと今回のマラソンの走り方で最も異なったのは、「35km以降」だった。

「初レース、そして2度目の東京マラソンは30km以降でペースアップをしてから(35km以降で)失速してきた」と過去のレースを振り返った服部選手。今回のレースは自身の弱点をいかに克服していくか、を意識して練習に取り組み続けてきた。

東洋大学4年生のときに初マラソンとして出場した2016年東京マラソン。35km過ぎには日本人トップに立ったものの、37km付近からの失速で12位に。2017年の東京マラソンも35km地点からの5kmで失速し、2時間09分46秒で13位に終わっていた。

課題は、35km以降。それは、他者に指摘されなくても自分が一番わかっていた。

福岡国際マラソンに挑む前に、服部選手は5月6日に行われたプラハ・マラソンに出場し、2時間10分26秒という記録で5位に入っている。

自己ベストを出すというかは、『35km以降で失速しない』という部分をクリアしたい」という目的意識を持って臨んだ大会だった。

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「故障が明けて、『35km以降の克服』という部分にフォーカスしてトレーニングをした結果がでた。ベストタイムは出なかったですが、(残り)7kmだけで1分半、それまでに比べると良くなった。そういった意味ではすごく評価ができた」

例年、このプラハマラソンは1kmあたり3分2~3秒で進んでいくということも、同大会を選んだ理由だった。本人の掲げた課題をクリアするためには「ほどよい」ペースの大会だったのだ。

「妄想の世界」でなるべく本番をリアルにイメージする…そこから生まれた逆転の発想

では、この「35km以降」を克服するために、具体的にはどういったトレーニングを積んできたのだろうか。

まずは、本人が「妄想の世界なんですよ(笑)」と明かすくらいとにかくマラソンのレースをリアルに意識して、40km走、もしくはそれ以上の長い距離を走る練習を積んでいくことだった。

「走り始めて、まだ序盤だから余裕を持って走ろうと。後半になるにつれて、できるだけ省エネでレースの妄想をしながら走る。レース展開を意識するというよりは、今までの35km以降を想定したような走りをする」

マラソンのレースを意識しながら練習していく中で、35km付近で走り方や、使う筋肉を意図的に変えていくことが、課題を克服することに繋がっていくと気づくタイミングがあったようだ。

服部選手は、「それまでマラソンを走っていて、傾向として37~38km地点で太ももの前側がすごくキツくなっていたんです。それさえなければ絶対走れるだろうという思いがあった」と自身の課題を分析していた。

「だったら、太ももの前側を強化すればいいのか」という発想の元、筋力トレーニングを試した期間もあった。しかし、筋力トレーニングを続けていくなか、「強化すれば、キツくなくなる」という単純なものでもないことに気づいた。

「筋トレを試したけれど、それは効かなかった。じゃあ、違う筋肉を代わりに使えばいいじゃないか、っていう発想になった。試したらそちらの方がよかった。終盤では太ももの前側と背中がやたら張るので、それを改善するために、他の筋肉を使うようにした」

こうした試行錯誤の結果、太ももの前側のキツさを軽減するにためには、ハムストリングスを使いながら走ることが効果的なことを発見した。

さらに、背中の張りを解消するためには発想を変えた。

それは、上半身の動きを「維持する」のではなく、あえて「自由に動かそう」とすることだった。結果的に、「肩甲骨周りの自由度が効き始め、最後まで走りが保てるようになった」のだという。もちろん、あくまで序盤は、意図的に走り方を変えることをせず自然体でリラックスして走ることが前提だ。

弱点を鍛えることがダメなら、他の能力で補えばいい。逆転の発想だった。

「ウエイトトレーニングとか補強も、大迫さんに比べると多分僕はやっていない。とにかく走りの中で意識すること」

不安に駆られたとき、脳内に浮かんだ過去の悔しさと、継続してきた練習

こうした試行錯誤を積み重ねトレーニングを続けてきた結果が、本番での安定した走りに繋がった。とはいえ、本人は最後の瞬間まで不安があったようだ。

レース本番までは、「練習のボリュームだったり質自体にはすごく自信があったのですけれど、これが本当に結果に繋がるんだろうかっていう不安の方が大きくて、そんな自信があってレースに臨んだというわけでもなかった」という心境だった。

それは、アフリカ勢2人と並び優勝争いが3人に絞られた時に、「一緒に行こう」とアフリカ勢に促したジェスチャーからも伺えた。

「後ろにつこうというよりは、一緒に行きたいという思いがあった。競い合っていけばタイムも出るし。離れた時は離れたときで嬉しい思いもあったが、ただやはり最後まで不安があってラスト4kmで、いつもと同じようになりそうと思いました」

こうして心が弱気になりそうになった時、脳裏に浮かんできたのは悔しい思いをした過去のレースと、積み上げてきたトレーニングだった。

「今までの東京マラソンだったり、今まで長い距離をやってきたトレーニングが同時に浮かびました。今までの自分とは違うトレーニングもしてきたし、それだけやってきたんだから大丈夫だと。こうやって走っていけばいいってわかっているんだから」

キツくなくなる走り方を身につけた結果、練習した距離が「勝手に増えた」

主に変えたのは終盤での走り方だが、走る距離も単純に増えた。今まで練習の際に取り組んでいた40km走は「3本くらい」だったが、それを「7本くらい」に増やした。

とはいえ、ただ闇雲に距離を増やして練習したのではない。本人曰く「勝手に増えた」ような感覚だった。それは、終盤での走り方を意識することにより、今までの走り方よりも疲労感が減り「終始余裕を持ちながら」トレーニングできたからこそだった。

「月間1000kmを超えていたけれど、無理に1000km走るわけではなかった。今までだと800~900km超えてくると、体がきつい、練習が続かないという感じでしたが、今回はとにかく余裕を持ってトレーニングに取り組み、基本を崩さないことを意識しました」

マラソンのトレーニングを続けていくことは、肉体的にも、精神的にもそう簡単なことではない。継続するために、必要なことを最後に教えてくれた。

「野球やサッカーと違い、毎週試合があるわけではない。だから、その1日1日、目標達成するための取り組みが100%できているかどうか。それを確認しながらすることが一番大事だと思います」

《大日方航》

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