著名人の死により、これほどのショックを受けたのは、いつ以来だろう。
今朝、ESPNの速報で飛び起きた。寝ぼけていたせいもあり「コービー・ブライアントの娘がヘリコプター事故で亡くなった」と読んでしまった。日本時間27日朝、飛び起き記事を探し始めると「コービーと娘のジャンナが……」亡くなったとわかった。
多くの海外ニュースの例に漏れず日本メディアの反応は遅く、まずはESPN、スポーツ・イラストレーテッド、CNNとサーチすると、誤報どころか、残念ながら事実であると突きつけられる続報が入った。
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マイケル・ジョーダンから「コービーは自分の末弟のような存在だった」とコメントが寄せられている記事を目にし「ダメだ、誤報ではない」と観念した。
目次
5度の優勝に貢献、MVP4回の偉大なキャリア
ご存じない方のために、少し触れる。コービー・ブライアントは1978年、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の元NBA選手。そのキャリアを通じ、名門ロサンゼルス・レイカーズ一筋でプレー。
父のジョー・ブライアントが神戸で食べたステーキに感動。店の名を息子に冠して「Kobe」と命名された嘘のような本当の話があまりにも有名。ジョーは現在の日本バスケ・Bリーグの前身、BJリーグの東京アパッチで監督を務めた過去もあり、日本好きで知られる。
コービーは96年に入団し、1999−2000シーズンにはカリーム・アブドゥル・ジャバー、マジック・ジョンソンという伝説的プレーヤーが躍進を支えた時代以来、12年ぶりにチームに優勝をもたらしたロサンゼルスの英雄だ。
2000年のNBAファイナルズは、ちょうど勤務するアトランタのCNN本社で、コービーとシャキール・オニールが暴れる姿を報道していた。こちらも伝説的プレーヤー、ラリー・バードが監督を務めたインディアナ・ペイサーズを相手に死闘が繰り広げられ、その記憶が今でも鮮明に残っている。稀代のスリーポインター、ペイサーズのレジー・ミラーにとってもキャリア・ハイライトだった。
レイカーズはこのシーズンから3連覇。コービーは同チームで2008-09シーズンからも連覇、その名声を盤石のものとした。
NBA最多記録となる18年連続オールスターゲーム選出、同MVP4回獲得。NBAを5度制し、同ファイナルも2度MVPを獲得。1試合81得点はNBA史上2位の記録(最多はウィルト・チェンバレンによる伝説的な100得点)。
通算33643得点はつい先日、レブロン・ジェームズ選手に抜かれるまでNBA3位の記録だった。
レイカーズ一筋のフランチャイズ・プレイヤーとして活躍
コービーがファンに愛された理由はいくつもある。
ひとつはニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーター同様、揺るぎないフランチャイズ・プレーヤーである点。
優勝や高額報酬を求め、フリーエージェントが普通となった時代、デビューからレイカーズの一員としてキャリアを終えたのはマジック・ジョンソン以来。同時代でもNBAを制した選手としては、ダラス・マーベリックスのダーク・ノヴィツキーぐらい。
現在もフランチャイズ・プレーヤーとして残りそうなのは、ゴールデンステートのスティフィン・カリー選手ぐらいしか思い当たらない。
また、NBAプレーヤーは八村塁選手らをしても理解できる通り、NCAAつまり大学バスケで活躍した後にドラフト指名されるのが通例。1995年にティンバーウルブズから指名されたケヴィン・ガーネットなどと同様、コービーも96年に高校卒業からアーリー・エントリーでNBA入り、その潮流に変化をもたらした選手のひとりとしても知られる。
アメリカ・ファンの多くはNCAAにも注目している。当時、ニュージャージーで行われたドラフトを眺めながら、高卒のコービーが指名された際は「え? 誰?」と私も戸惑ったもの。
特に96年ドラフトは豊作中の豊作。いの一番は、アレン・アイバーソン、それ以降もマーカス・キャンビー、ステフォン・マーブリー、レイ・アレン、スティーブ・ナッシュと後年の代表的選手が目白押し。
高卒はコービーとポートランドのジャーメイン・オニールの2選手だけだった。
当時、「高卒選手が活躍できるのか?」という否定的な論調がメディアで飛び交ったものだが、両選手ともに長年オールスターに出場を続け、活躍した実績を振り返ると、その論点はナンセンスだったのだろう。
“バスケの神様”マイケル・ジョーダンの“弟”
そしてコービーは誰よりも、当時NBA人気を牽引していたマイケル・ジョーダンの後継者と目され、実際継承したと考えられる点に尽きる。
シューティング・ガードという同じポジション、身長・体重を含めたサイズ、アスレティズムを活かしたプレー・スタイル、その爆発的な得点力と兼ね備えたリーダーシップ……ジョーダンが「自分の弟、そして姪を失った」と追悼を寄せるのも、無理からぬことだ。
バスケファンにとって、シカゴ・ブルズの後期3連覇にぶつかる形でコービーがデビューしたこともあり、同じポジションの2人のマッチングは常に話題をさらった。
コービーが高卒でアーリー・エントリーした理由のひとつは、憧れのジョーダンと一緒にプレーしたかったからともされる。このマッチアップは、ジョーダンの2度目の引退までは、経験で圧倒的に勝るジョーダンに軍配が上がったとして良い。
それでもコービーは、レジェンドの後継者とされるだけのパフォーマンスを見せ、3度目の引退を決めたジョーダンとの最後の対戦では55得点し、その成長ぶりを見せつけた。
しばしばジョーダンは「バスケットボールの神様」と形容されるが、もしそうであるなら、コービーはまさにその愛すべき末弟だった。
愛娘を通じてのバスケットに新たな楽しみ そんな中での事故
2016年の引退以降、バスケから遠ざかっていたコービーがバスケット・コート・サイドに姿を見せるようになったのは、つい今シーズンの出来事。
その理由は、一緒に亡くなった娘ジャンナが「バスケットを熱心に観るようになり、彼女の目を通し、バスケットを見つめることができるようになったから」とCNNレポーターが述べていた。
コービーのニックネームは「ブラック・マンバ」。彼の得点力を、100%獲物を仕留めるとされる蛇「ブラック・マンバ」になぞらえたゆえだ。
自身のニックネームにちなみに娘ジャンナを「マンバシータ(Mambacita)」と呼び、「将来はWNBA選手になるよ」と連れ添う姿が話題になっていたのが、つい先日のこと。その娘の試合に、コーチとし寄り添う移動途中のヘリコプター事故……。それだけにファンの悲しみを誘う。
同日、全米各地で行われたNBA試合では黙祷が捧げられるなど、偉大なプレーヤーへの敬意が表された。
神様に愛された弟は、誰よりも早く神に召された。心より冥福を祈る。
著者プロフィール
たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー
『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。
MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。
推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。
リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。
著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。
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