【佳作】スポーツとジンクス(作者:福原 玄さん)

(c)Getty Images

「わたし、試合前は靴下を必ず右足から履くんです」
「ぼくは、試合当日の朝は、必ずコーンフレークにヨーグルトをかけて食べます」

ジンクスを大切にしている選手の多くが、いい成績をおさめた時、いい結果が出た時に、繰り返し行っていた行動パターンの中から何かしらの共通点を見出したのだろう。1、2回続いたくらいなら、「たまたま」という偶然の一致かもしれない。しかし、3回4回と、いい結果が続いたとしたら。

あなたは、5回目の朝、あえて靴下を左足から履きますか? コーンフレークが切れていたら、近くのコンビニまで買い出しに行きませんか?

日本では古来から、「ジンクス」のことを「験を担ぐ」という言葉で表現してきた。もちろん、スポーツの分野に限らずだ。おめでたい時には「鯛」を食し、正月のおせち料理には「喜ぶ」という意味合いで「昆布」が提供される。

そもそも、ジンクスとは英語で「jinx」と書き、縁起の悪い例えに用いられている。それをいい意味に解釈しているのは日本だけだそうだ。

それを知らずに、試合前に、海外の選手との会話で「オレはジンクスを信じてるからきっと勝つよ」なんて言おうものなら、「なんてマヌケな日本人だ! どうぞどうぞ」と心の奥で笑われてしまうだろう。

前置きはこのくらいにしておこう。スポーツにおいて、フィジカルテクニックも大事な要素ではあるが、最後に勝敗を決定づけるのは、メンタルだと思う。正直、ジンクスという言葉が、どんな意味かなんて関係ない。

「自分は右足から靴下を履いた時には負けたことがない」
「今朝も、ちゃんと右足から履いた」
「だから今日の試合も勝つ」

このような自己暗示をかけることにより、選手のメンタルには余裕が生まれ、実際にいいパフォーマンスにつながるのではないだろうか。

選手は勝敗や記録に自分の選手としてのプライドを掛けて戦う。それは、あくまでも自分へ向けられたもので、自己満足に近い世界感の範疇を超えることはないだろう。どうせ自己満足なら、チョットしたことでも、プラスな方向に紐づけて信じちゃってもいいんじゃないだろうか。

ジンクス=自己満足

この解釈も悪くはないだろう。

イエスキリストはこう言った「信じるものは救われる」と。都市伝説は「信じるか信じないかはアナタ次第」と言う。メンタルは本人の気持ちの持ち用でプラスにもマイナスにも作用するということなのだろう。だったら、どんな些細なことでもいいから、ジンクスを見つけ出して活用した方が良さそうだが、どうなんだろう。

無理矢理見つけ出すのは、意外と苦手な人もいそうだ。いわゆる、想像力をフルに働かせる必要があるから。創造力豊かすぎる選手には、逆にジンクスだらけになって身動きが取れなくなりそうだし。

いや、待てよ。ここまで書いて気がついたのだが、日々の練習やストレッチなど身体のケアはジンクスにならないか?

「毎晩、練習後に湯船で身体をほぐしています」
「練習の2時間前までには食事をすませています」

理論に基づいたトレーニングもジンクスと呼んでもいいんじゃないのか。しかし、これはジンクスではなく「セオリー」と呼ぶらしい。なぁーんだ、残念。せっかく簡単にジンクス見つけたと思ったのにね。当り前すぎる、常識で誰もが知っていることはジンクスと呼べないらしい。じゃあ、ジンクスどうやって見つける?

いいパフォーマンスができた日のことを思い返すとしよう。もし、それが人に言えないようなことだったら。でも、確かにそれをした日には、十中八九いい結果が出ているな。

実は、コーンフレークにかけているヨーグルトの賞味期限が切れている時に優勝した選手がいる。彼は、大事な試合の前に、試合日から逆算してヨーグルトを買い置きしておくと言うではないか。ただし、あまりにも長期間過ぎてしまうと、反対にお腹の調子を壊してしまうとのことで、ちょうど1、2日切れているように調整するらしい。

彼のような涙ぐましい努力で作り上げられたジンクスは、もはや「天然のジンクス」というよりは「養殖のジンクス」じゃないだろうか。

それでも、彼がそれを信じ、戦い、勝利するのならば、「活きのいいジンクス」に違いない。たとえ賞味期限が切れていても、活きがいいのはビフィズス菌だからかもしれない。

【SPREAD賞】スポーツ×人生(作者:orangeさん)

【佳作】スポーツ×ロサンゼルス(作者:武庫川 珠緒さん)

【佳作】スポーツ×羽生結弦(作者:稲越 美由紀さん)

【佳作】アルプススタンドの孤独と観衆のまなざし(作者:本城 浩志さん)

【佳作】剣道の虫(作者:河上 輝久さん)

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします