【佳作】アルプススタンドの孤独と観衆のまなざし(作者:本城 浩志さん)

満員のアルプススタンドにようやく席を見つけてひと段落した時、「ホルモンカレー買うてくるから待っててな」と、私は息子をスタンドに残して売店へと出かけた。

20分ほど並ばされ、ちょっと長いなぁ、とは思いつつも順番が来たのでホルモンカレーを注文。お目当ての品を手に急いで席へ戻ると、目を真っ赤にして座っていた息子が、ホッとした顔で私を見た。

やっぱりあかんかったか、と思って、「お待ちどうさん」とホルモンカレーを差し出した。

5万人の群衆の中で25分間も放ったらかしにされていたのだ。もし、その時誰かが息子の不安に付け入り「お父さんが呼んでるから行こう」などと言って、連れ出してしまったら……!? そう思うと、父親として取り返しのつかない失態を犯してしまったことに気付く。

「なんで泣いてんの!?」。ちょっと意地悪だけど、男の子としてグッと堪えて欲しかった面もあって、つっけんどんな感じでハンカチを手渡した。すると息子が、「パパに何かあって帰ってこれなくなったと思ったけど、動いたらダメだと思って……」と、ポロポロ涙をこぼしながら言うではないか。ひしと抱きしめてやりたくなった。

私は苦笑して「お腹空いたやろ!? 25分待ったホルモンカレー、美味しいで」と息子に渡した。すると隣のオジサンが、泣いている息子に「泣かんとき。甲子園名物お父さん買うて来てくれたんやから」と、声をかけてきた。

「!?」と思った。そんな私をよそに、オジサンは立ち上がって帰り支度をしている。そしたら息子が「『ホルモンカレーにはぎょうさん並んでるからしゃあないねん。ボク泣かんとき』って言って、これ買ってくれた」。そう言うと、握りしめていた缶ジュースを私に見せてきた。

ここでようやく私は事態を理解した。そういえば息子にそんなものを買ってあげていなかった。

「どうもすいません! 息子に声がけしていただいた上に、ジュースなんかも。おいくらでした!?」。私が慌ててお礼を言うと、「んなんもん大したことないがな」と、サッサと荷物をまとめて通路に向かった。「あのジュース代……」「なんでやねん、ワシが勝手にボクに奢っただけやさかい」。そう言ってニコッと微笑み、オジサンは去って行った。

ちょうど第1試合と第2試合の継ぎ目だった。私が帰って来ると、次の試合のオーダーが発表され始めた。すると周りにいた何人かが席を立ち、荷物をまとめだした。彼らは最初の試合だけを見に来た人たちで、入れ替えの時に私たち親子が入ってきたのだ。もうちょっとずらしてアルプスに来れば良かったかなぁ、と思った。反対隣のおばさんや、前のお姉さんや後ろのお爺さんなんかが席を立ち始めた。

「『お父さんがホルモンカレー買うて来るまでポテトチップ食べる!?』と言われて、ちょっともらった」と、息子が派手な格好のお姉さんに向かって言った。「えっ!?」、私はそのお姉さんに礼を言った。

さらに息子は続ける。「『ボク暑いやろ!? カチワリいる!?』と言ってちょっと氷貰った」。その隣りのお兄さんに、「気を遣わしたみたいでどうもすいませんでした」と、私は頭を下げた。

ひとりでいた息子はあっちからもこっちからも励ましてもらい25分間、私を待ち続けていたのだ。声をかけてくれたオジサンやお姉さんが席を立つたびに、こんなこと言うて励ましてくれた、○○買うたろかと言うてくれた、と息子が私に言うものだから、私は周囲の人たちのさりげない優しさに心打たれ、何度もお礼の言葉を口にした。

私らの席を取り囲む何人もの人が、必死で涙をこらえている息子の姿を見つめてくれていたのである。私は驚いてしまった。馬鹿な父親の行動を見抜いて、きちんと息子を見守ってくれていたことに、私は感謝してもしきれないくらいの思いになっていた。

ホルモンカレーの列に並びながら、ちょっとひとりにしている時間が長いなぁ、と思ったものの、私は列から離れられなかった。席に戻って、ホルモンカレーを買ってきたのに子どもがいなかったら……。周りの人に訊ねても「知らん知らん」と言われ、何の情報も得られなかったら……。そんなことを思うと、もうゾッとした。

私は甲子園にいる観客の懐の深さ、高校野球を愛する人たちの心根の優しさ、関西人のおおらかさに感謝し、反省した。ホルモンカレーなど、どうでもいいことだったということを全身で感じていた。そして、試合の入れ替わりの時にやってきた父親が息子を置いて席を立ったものだから、その人たちは何気なさを装って、ずっと私が帰って来るのを息子とともに待ってくれていたようなのだ。

「すぐ出ても混んでるしな、ちょっと間ぁ置いた方が、阪神電車にもスムーズに乗れるしな」。誰かのそんな言葉の向こう側にも、優しさが感じられた。

次の試合が始まった。息子は安心したようで、表情も復活したが、試合については別にどっちがどうという思いもない感じで眺めていた。スポーツはプレイだけではない。それを見つめる観衆の、ファンの、暖かい視線と厳しい眼差しと、周囲への優しい心遣いがひとつになって、華麗なるプレイをする選手を応援しているのだ。

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