【三菱ラリーアート正史】第3回 グループAからワールド・ラリーカーへ そして突然の体制変更

 

【三菱ラリーアート正史】第3回 グループAからワールド・ラリーカーへ そして突然の体制変更
筆者がアンドリュー・コーワンから譲り受けたチームキャップ (筆者提供)

■スヴェン・クワントによるラリーアートの完全否定

2002年11月、ヨーロッパで開催された「Mitsubishi Motorsports Day」と銘打たれたイベントでは、新たなカラーリングにリペイントされたランサー・エボリューションWRCのデモラン、および2003年のパリダカを戦う「パジェロ・エボリューションMPR10」のアンヴェール (初公開)が行われた。これにラリーアートは関与していない。

2台のワークスマシンの赤とシルバーのカラーリングは、『赤は三菱を、そしてシルバーはダイムラーを表すものだ』との説明があったと記憶している。そう説明した長身のドイツ人こそ、MMSP GmbH代表のスヴェン・クワント氏である。
 
私はどこかでクワント氏に会ったことがあることに気づいた。いや、正確に言えば互いを視界に収めた程度だっだろう。記憶の底から急速に浮かび上がってきたのは、私がフランスに派遣された「94パリ~ダカール~パリ」ラリーのスタート前日の車検場だ。一台遅れて検査リフトに載せられたプライベーターのT1 (市販車無改造)パジェロ。そのパジェロのドライバーにしてチームオーナーこそ、スヴェン・クワントその人だった。三菱チームのユニフォームをまとった私に一瞬向いた視線の、その眼光の鋭さはよく覚えている。

94パリダカ車検場でのクワント氏のパジェロ。総合14位で完走している(筆者提供)

一部のメディアが伝えたMMSP代表スヴェン・クワント氏の当時の発言は、私にとって、ラリーアートの完全否定に近いものだった。

「街を散歩するご婦人に『ラリーアート』のことを聞いても何のことか分からないだろう。 でも『三菱自動車』のことは多くの人が知っている。だから自動車メーカーはワークス活動を自身の名前で行う必要がある」。

正論……ではある。だがそれは、マーケティングの視点に限るならば、だ。

ラリーアートが目指したモータースポーツは、ただ効率的に勝利しそれを広告塔にすることではなかった。三菱自動車は1967年に初めて国際ラリーに「コルト」を出場させた時代から過酷な状況で商品を鍛え、壊れれば原因を追究し改良につなげ世界に通用するクルマを作ろうとしてきた。そのスピリットを、より消費者に近いところで代弁するためにラリーアートは設立され存在してきたのだ。

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先の発言に続いて、クワント氏はこうも発した。

ヨーロッパのラリーアートは再編される」。

クワント氏は、モータースポーツから収益を得ていたラリーアートをMMSPのカスタマーレーシング部門と位置づけビジネスを推進しようとした。しかし、私にとってそれは、今なお敬愛してやまぬ近藤昭ラリーアート元社長(故人・在任1989~97) の築き上げた、海外ディーラーや現地モータースポーツ事業者からなるラリーアートのネットワーク (その強い結びつきは「ラリーアートファミリー」と呼ばれた)を灰燼に帰す行為かのようにも思えた。近藤氏は、私を94パリダカの後方支援に送り出してくれた恩人でもある。クワント氏の一連の発言は私のみならず、ラリーアートと共に歩んだ者にとって、あまりに悲しく冷たい響きに感じたはずだ。

後に設立手続きを完了させたMMSP GmbHは「三菱自動車のモータスポーツ統括会社」と名乗る。だがこれはどう考えても違和感が残った。モータースポーツ活動を統括するのはメーカー、つまり三菱自動車であってMMSP GmbHは実動部隊のチームを指揮する子会社だ。MMSP首脳による、いわば「モータースポーツに関する権能の親会社からの奪取」は、やがて迎えるモータースポーツ撤退の序曲だったのかもしれない。

ドイツ名家の出身で優れたビジネスマンでもあるクワント氏は、三菱自動車のモータースポーツ活動の主導権を得たことを内外に示すためにかF1を引退したばかりのミカ・ハッキネンをランサー・エボリューションWRCに乗せ、一部のヨーロッパラリー選手権(ERC)イベントにプロモーション参戦させた。この事実を知る人も少ないだろう。

ハッキネンのシルバーのレーシングスーツにはMMSPのロゴだけが縫われ、RALLIARTのロゴは存在しなかった。こうしてラリーアートは事実上ワークスチーム運営の外に置かれることとなったのである。

ランサーエボリューションWRC2 MMSPカラー(筆者提供)

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著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。

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