【プロ野球】清宮幸太郎を外し、ヤクルトが手に入れた「55」本塁打の村上宗隆

スポーツ各紙を飾る村上宗隆、日本人最多タイ「55号」の見出し

55」、それは長らく日本プロ野球界における象徴的な数字だった。

今を遡ること58年前。つまり、もはや半世紀以上前の出来事になる。読売ジャイアンツ王貞治が1964年、前年に南海ホークスの野村克也が樹立したプロ野球のシーズン最多本塁打記録「52」を抜き、55本の記録を打ち立てた。以来、55はプロ野球界における象徴となった。

◆【実際の映像】実況も「黄金の一撃!」と大興奮  背番号「55」村上宗隆、神宮の夜空に放物線を描いた日本人最多タイのシーズン55号

いや、球界だけではなかった。1966年に萩本欽一坂上二郎(故人)により結成されたお笑いコンビは、王のホームラン記録にちなみに「コント55号」と名乗った。このコンビもテレビ番組『コント55号の世界は笑う』で一世を風靡。今の若いファンはその由来を知らぬだろうが、彼らの持ちネタが「野球拳」だった点には、その縁を感じさせずにはいられない。

若いファンにとっては、ニューヨーク・ヤンキースにおいてワールドシリーズMVPを獲得するほどの大活躍を見せた松井秀喜の背番号として知られるだろうが、これはもちろん王のホームランにちなんでつけられたもの。「松井にこそ、王の記録を破ってほしい」、巨人の期待の現れだった。松井は2002年、50本塁打を置き土産にアメリカへと渡ってしまう。しかし、ヤンキースでも「55」を背負った松井の活躍により、55はさらなる象徴へと昇華した。昭和の時代、それほどまでに大きい数字の背番号はポピュラーではなかったが、55を背負う選手が増えたのは、松井の影響だ。オリックス・バファローズのT岡田、元広島カープの嶋重宣…。

村上宗隆もその中のひとりだろう。プロ野球史上もっとも長く背番号55を背負ったのは、1988年から使用していた元ソフトバンク・ホークスの大道典良と思われるものの…。

■野村克也「王の記録なんか破っちゃえ」

一方、王のホームラン記録には、ランディ・バース(阪神)が1984年に54本と目前に迫ったが「助っ人にプロ野球記録を明け渡すわけにはいかない」という、一種人種差別めいたメンタリティから神聖視され、勝負を避けられた。21世紀になり2001年にタフィ・ローズ(近鉄)が、翌02年にはアレックス・カブレラ(西武)がついに王の記録に並ぶものの、やはり同様の理由からか、超えることは叶わなかった。

これからさらに11年の時を経て、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が、ついにこの記録を破る。この時、バレンティンが55号に到達したのは122試合目。さすがにどのチームの投手陣も、残り20試合を逃げ回るわけにいかなかった。また、「助っ人アレルギー」を拭い去るに十分な時の流れもあったのだろう。バレンティンは126試合目に王らの記録を抜くと、この年60本の記録を樹立したのは、まだ記憶に新しい。

村上は13日、54号、55号を放ち、日本人としては王以来の記録に並んだ(注:王は64年当時台湾国籍)。プロ野球ファン、いやヤクルト・ファンでさえ、この快挙を予想しただろうか。村上は自らが背負った「55」の宿命を見事達成してみせた。

2018年2月のキャンプで、今は亡き野村克也元監督は、村上に「王の記録なんか破っちゃえ」と声をかけている。55号を放った後、村上は「ほんとに今は何でそういうことを言ったのかな…というのを聞いてみたい気持ちでいっぱいです」とコメント。野村克也の予言は、まさに現実となろうとしている。

◆村上宗隆、野村克也元監督の遺言に迫る51号弾 「オレの記録を抜け」

多くのプロ野球ファンは忘れてはしまいか。


この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします