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【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」

【プロ野球】“最後の近鉄戦士”坂口智隆の引退で思い出す“近鉄最後の球団代表”のひと言「あの失敗を忘れるな」
東京ヤクルト・スワローズ、坂口智隆、内川聖一、嶋基宏の引退を伝える各紙

■「近鉄バファローズは、恋人だった」

近鉄球団が消滅したあと野球の世界から離れたが、仲間への思いは強かった。

「ずいぶん時間が経ちました。プロ野球の試合も見なくなったし、自分の意識では抜いているはずなんやけど、まだ僕の中には野球が残っとる。近鉄にいた選手やスタッフのことが気になりますよ。『いま、どうしてるやろか?』と。みんなが頑張っていると聞くと、やっぱりうれしい。まあ、バラバラになってしまったことについては、いまでも複雑な思いはあります。『もし、近鉄でやってたらどうなってたんやろうか?』と」。

足高が球団代表をつとめた時代と比較すれば、パ・リーグの地位は上がり、イメージも向上した。ドラフト候補のアマチュア選手が「パ・リーグだから」という理由で入団を拒否することはもうない。

「人気でも選手の待遇でも、セ・リーグに引けを取らなくなったからです。それだけ、パ・リーグの球団が頑張ったということ。僕らの時代はスカウトから、『なんぼ誘っても無理です。近鉄はちょっと……パ・リーグは嫌やと言う』という報告が上がってきました。いまはそんなこと、ないでしょう。それぞれの町で応援してくれるファンがたくさんいるということは、本当にすばらしい」。

近鉄球団はどんな存在だったのか…。

「僕は近鉄のことしか知らんから、ほかとの比較はできません。近鉄とは何か……うーん、家族かな。いや、家族じゃないな……恋人にしときましょう。ケンカするときもあるけど『おまえがおらんとあかん』という存在(笑)。僕はいまでも、近鉄が12球団で一番いいチームやったと思っています。主役の選手たちを支えるスタッフ、ファン、みんなが一体になって、いい感じやったんですよ。ほかのチームに移った人から『近鉄はいいチームやった』と聞くと、やっぱりうれしい。同時に、さびしいんやけどね」。

“近鉄最後の球団代表”である足高の訃報が届いたのは今年の7月だった。

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著者プロフィール

元永知宏●スポーツライター
1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。

著書に『期待はずれのドラフト1位』『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』『野球と暴力』(イースト・プレス)、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)、『甲子園はもういらない……それぞれの甲子園』(主婦の友社)など。