【プロ野球】オリックス・バファローズの礎を築いた男 〜 パ3球団で8度のリーグ制覇 悲運の闘将・西本幸雄が遺したもの

(C)Getty Images

いまから1年前の10月1日、オリックス・バファローズの主催試合は「西本幸雄メモリアルデー」と銘打って行われた。選手は、前身の阪急ブレーブスが初優勝した1967年のユニフォームを着てプレー、その背中には西本の背番号「50」が縫い付けられていた。

若いプロ野球ファンのなかで、西本幸雄の名前を聞いて、その顔を思い浮かべる人は少ないだろう。1981年に近鉄バファローズの監督を退任したのち、プロ野球ニュース(フジテレビ)を中心に解説者として活躍したが、ユニフォームを着ていたのはもう40年も前のこと。20代、30代がピンとこないのは当然だろう。

しかし、1960年代後半から1970年代にかけて、パ・リーグの名監督といえば、この人だった。

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■リーグ制覇8度の名将  3球団で胴上げ監督

1920年、和歌山県生まれ。プロ野球がセ・リーグとパ・リーグに分かれた1950年にプロ野球選手になった。現役引退後は指導者に転身し、1960年に大毎オリオンズの監督としてリーグ優勝を飾ったが、日本シリーズで4連敗した責任を取って退任。

1963年に阪急の監督に就任し、「灰色球団」と呼ばれたチーム1967年に初優勝させ、1973年に監督を退くまでの7年間で5度のリーグ優勝を果たした。

1974年に弱小球団だった近鉄の監督になると、1979年に初優勝を飾った。のちに、「江夏の21球」として伝説となる日本シリーズで、広島に苦杯をなめた。翌年、パ・リーグ連覇を果たしたものの、また広島に敗れた。1981年限りでユニフォームを脱いでいる。

猛練習を課すことで知られた西本の手によって、数えきれないほどの選手がプロ野球に名を残した。阪急時代には、本塁打王、打点王3回の長池徳士、通算1065盗塁を記録した「世界の盗塁王福本豊、アンダースローの投手としては史上最多の通算284勝を挙げた山田久志。近鉄では、300勝投手の鈴木啓示を再生し、栗橋茂梨田昌孝など個性派を一流に育て上げた。

■「一緒に野球をやるやつは、幸せになってほしい」

立教大学野球部の後輩である私は2003年、西本に取材する機会を得た。それを『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)に書いた。彼の育成哲学はいまの野球界でも大きな意味を持つと私は思う。

ドラフト制度はあったものの、阪急も近鉄もアマチュア選手から人気がなかった。外国人選手も少なかった。FA制度はまだない。そうなれば、いま球団にいる選手を育てるしかない。

西本はこう言った。

「はじめのうち、俺は選手をあまり区別しない。だけど、1カ月も一緒に練習をしておれば、『この選手は見どころがある』とか『こいつはダメかな』というのがわかる。体の資質とか、頭の中身や性格がはっきりしてくればね」。

ここからが西本流だ。
「見どころがある選手については、きちんとした打ち込み方をさせて、それなりの給料をもらえるところまで仕上げなきゃいけない。それが俺のつとめだから。選手たちが将来、野球で飯を食えるように、家でも持って一人前の生活ができるようにするのが俺の責任だと考えてきた。そういう責任が指導者にはある。優勝するとかしないとかはあとの問題や」。

そのためにどうするか。まずは戦えるだけの体力をつけさせる。技術を授け、最後に心を磨く。

「理になかった練習をすることによって、まず体が違ってくる。いくら練習してもへばらない、1シーズン戦っても故障が少ない、持久力がついてくる。そうなれば、戦う気持ちもついてくる。体力、気力がついてきたら、今度は技術だよな」。

プロ野球選手に与えられる時間は少ない。少しでも早く、一軍の戦力になることが求められる。

「だから、プロ野球の指導者は、回り道をさせたらダメなんだよ。的を射た教え方をせんといかん。回り道をしたあげく、いい方法を教えらえずに5年くらいでクビになっていく選手がいくらでもいる。だから教えるやつがどうしたらいいかをわかっていて、選手をモノにしてやろうと愛情を持って、回り道させないように指導をする。

プロ野球の監督やコーチは、そういう指導者の集団でなきゃいかん。体力、気力と技術を持った選手たち個人個人が集団になったとき、チームというものはものすごい力を発揮するようになるんや」。

西本が近鉄のユニフォームを脱いでから、40年近くが経った。野球そのものも、野球選手の考え方も大きく変化している。しかし、いつになっても変わらないものがある。

「俺が『これ』と思った選手の指導には力を入れた。手を焼いて、途中でサジを投げるようなことはなかった。

俺と一緒に戦った選手で監督をやるのも多いし、コーチやフロントで活躍する人間もたくさんいる。野球以外の仕事で成功している人もいる。人間性というか、そういうものをつくれる時間だった」。

頑固おやじ、鉄拳のイメージのある西本が真意をこう説明した。

「俺は怒って手を出したみたいに言われることもあったけど、そういうことではないのよ。根本には、一緒に野球をやるやつには、みんなに幸せになってほしい。勝つとか負けるということだけじゃない。チームに入ってきた人間とは何らかの縁があるわけやから、どうにかして幸せになってほしい。そういう優しさみたいなものや」。

こんな指導者と一緒に野球ができた選手は本当に幸せだ。

西本がユニフォームを脱いでから、阪急ブレーブスはオリックス・ブルーウェーブに、その後、近鉄バファローズを吸収する形で〝オリックス・バファローズ〟になった。

1996年以降、長く遠ざかっていたリーグ優勝がいま、すぐ目の前にある

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著者プロフィール

元永知宏●スポーツライター
1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。

著書に『期待はずれのドラフト1位』『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』『野球と暴力』(イースト・プレス)、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)、『甲子園はもういらない……それぞれの甲子園』(主婦の友社)など。


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