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【アジアクロスカントリーラリー】初参戦初優勝、復活のチーム三菱ラリーアートはさらにその先の頂を狙う

【アジアクロスカントリーラリー】初参戦初優勝、復活のチーム三菱ラリーアートはさらにその先の頂を狙う
疾走するチーム三菱ラリーアート・トライトン105号車 提供:三菱自動車

三菱ラリーアート総合優勝」。

この言葉を聞くのは、いつ以来だろう。

◆【アジアクロスカントリーラリー】復活のチーム三菱ラリーアートが初参戦初優勝

■強い三菱がラリーアートが還ってきた

三菱自動車として7年ぶりのモータースポーツ活動はアジアクロスカントリーラリーAXCR) 2022への参戦。今回は「ラリーアート」を名乗って総合優勝という戦績を残した。強い三菱が、ラリーアートが還ってきた。

見事、初参戦初優勝を果たしたチーム三菱ラリーアート 提供:三菱自動車

「スポーツの未来を読みとく」メディアSPREADで執筆の機会を与えてもらうようになってから、ほぼ一貫して三菱自動車のモータースポーツ活動「ラリーアート」に関して深堀りした記事を連ね、近い将来の三菱自動車のモータースポーツ活動復帰や車種、出場イベントを(元三菱自動車マンとしてのマインドで)的中させてきた。

AXCR2022の結果はSPREADをはじめ各社が伝えているので、それはそれぞれに任せ、今回私はこの勝利への想いと次への展望を語りたい。

私がラリーアート復活の動きを知ったのは2020年の、まだ暑さの残る初秋だった。そこから翌年5月の三菱自動車によるブランド復活宣言、さらに商品リリース開始から間を置かずのAXCR2022への参戦宣言と、信じられないスピードでプロジェクトが進んできた。

キーパーソンはもちろん、今回AXCRでチーム三菱ラリーアートの総監督を務めた「パリダカ」のレジェンド増岡浩だろう。三菱自動車の要職についてからも、おそらくモータースポーツ活動、とりわけ「ラリーアート」としての復活を粘り強く経営陣に訴え続けてきたはずだ。

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でなければアジア地区でとは言え、これほどの短期間に復帰初戦で総合優勝を獲得できるチームづくりはできるものではない。もちろん「チーム」とは、実戦部隊に限ったことではない。彼の人望が多くの人を動かした結果だ。

今回のチーム三菱ラリーアートは、かつてアウトランダーPHEVで電動車開発の一環として参戦したラリー(2013~15年)同様、「三菱自動車が技術支援するチーム」としての編成だ。タイのTANT SPORTを核に三菱自動車から増岡総監督、技術者を派遣するという形態をとった。

三菱自動車が技術支援するチーム三菱ラリーアート 提供:三菱自動車

もちろん多くの社員を動員できる段階ではないこともあっただろうが、これはAXCRが「ある種アジアのプライベーターの祭典」的な色彩を持つことにも配慮したこともあるだろう。メーカーのワークスチームが乗り込んでくるという印象を与えてしまってはプロモーションとしては逆効果にもなる。もし勝てなかったらなおのことだ。

実際にはいすゞもトヨタも現地チームを前面に推し立てながら関与はしているのだから三菱も含めて各社「ワークスチーム」には違いない。それでもチーム三菱ラリーアートは総合優勝という結果以上に、ラリー復帰が歓迎されたことは何物にも換えがたいと思う。

圧倒的ないすゞ、トヨタの出場車両の多さもAXCRの特徴だ。三菱のモータースポーツ活動の終了で進んだその状況も、チーム三菱ラリーアートの優勝で変化が訪れるかもしれない。

■プライベーター杉本達也、参戦の意義

その先鞭をつけることになるかもしれないプライベーターがいた。こちらでAXCR2022への挑戦を紹介した杉本達也だ。

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プライベーターとしてセレモニアルスタートに立つ杉本達也(左)組 撮影 :小林正夫

杉本はタイ生産のパジェロスポーツを駆って出場。序盤からミスコースやアクシデントに見舞われたが中団グループのポジションをなんとか維持して臨んだ約50kmの最終SS、多くのチームが泥にまみれたコースでスタックに見舞われる中これを回避し、総合13位とトップ10に迫りT1Dクラス8位入賞を得た。

かつてラリーアートは世界中に現地ティーラーなどを中心としたネーットワークで、三菱車でモータースポーツに参戦するプライベーターを支援してきた。チーム三菱ラリーアート復帰のAXCRに、三菱車で出場した日本人プライベーターの戦果は近い将来、「再びのプライベーター、ユーザー支援体制構築」のきっかけとして大きな意味を持ってくると思う。

参戦した杉本のパジェロスポーツ 撮影:小林正夫

私はこの春、増岡総監督から連絡をもらっている。「今年は(いろいろな意味で)練習です。そこからチームを、ラリーアートを育てていきたい」と。

おそらく3年、チーム三菱ラリーアートはアジアを軸足にしていくことだろう。そしてそこでの成果によって、さらに大きなフィールドへと挑戦してくれることに期待したい。

◆AXCRで復活の三菱・増岡浩総監督が語る地球との戦い「それがラリーだ」 前編

◆【三菱ラリーアート正史】第1回 ブランドの復活宣言から、その黎明期を振り返る

◆【ラリーアート】篠塚建次郎さん、自動車殿堂入り 前編 「50年以上ラリーを続けてよかった」

著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。