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【W杯】FIBAワールドカップ2023開催で湧く沖縄で「伝説のおじい」も練習再開 八村塁、渡邊雄太との対決なるか

 

【W杯】FIBAワールドカップ2023開催で湧く沖縄で「伝説のおじい」も練習再開 八村塁、渡邊雄太との対決なるか
毎朝共にシュートの練習に励む子供たちと(1月5日、沖縄県中頭郡北谷町のアラハビーチ)撮影:本田路晴

沖縄では今年8月から9月にかけ、沖縄アリーナ(沖縄市)で『FIBAバスケットボールワールドカップ2023W杯)』が開催される。

沖縄本島、離島も含め、12歳以下の子どもを対象にしたクラブが300以上あるなど、バスケを楽しむ裾野は子供から大人までと幅広い。本土と比べてもバスケットボール(バスケ)は身近な存在だ。そんな沖縄で、バスケ好きなら誰もが知る「伝説のおじい」が長いコロナ禍による雌伏の時を経て、再び本格的な練習を再開した。

◆【実際の映像】3ポイントの神様「伝説のおじい」が3ポイントをビシバシ決め、Bリーガー相手に完全勝利 

■初めてボールを手にしたのは50歳を過ぎてから

沖縄県北谷(ちゃたん)町のアラハビーチに無数に並ぶバスケットボールリンク。子供たちがゴールを目がけボールを投げる中に「伝説のおじい」の姿はあった。宜野湾(ぎのわん)市新城(あらぐすく)に住む宮城義光さん(78歳)は、毎朝午前9時にコートに現れ、ひたすらボールを投げ続ける。筆者の目の前でも軽々とゴールを決めた。これを午前と午後、それぞれ50本入るまで続ける。

バスケット歴は28年。子供の頃からやっていた競技を中断を経て再開したのかと思いきや、バスケットボールを初めて手にしたのは50歳を過ぎてからだった。30歳過ぎで立ち上げたレジスター販売の会社で、がむしゃらに働き続けた。本土向けに売りに売った。しかし長年の無理がたたり、50歳を過ぎたある日、急に体が動かなくなった。100メートル歩くのも休み休みでないと前に進めなかった。

「このままでは何のための人生なのか」。会社は潔く息子たちに譲り、体力回復に専念することにした。

長年の酷使でボロボロになった体に運動は望むべくもなく、まずは散歩をかねた森林浴から始める。徐々に息切れもなくなり歩けるようになり、遠出もできるようになった。そんなある日、偶然に訪れた沖縄市の沖縄県総合運動公園体育館(県総)のバスケットボールのリンク前に立っていた。好奇心のままにボールを借り、バウンドさせシュートしてみた。面白い。

■「58投中1本」からのスタート、一日12時間の猛練習

バスケットボールがつるつるになるまで練習に励む(1月5日、沖縄県中頭郡北谷町のアラハビーチ) 撮影:本田路晴

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シュートしてみたが、58回投げて1本しか入らなかった。

「あんたの歳でバスケットボールを始めても無理だ。やめた方が良い」と周囲に言われた。

「自分も三日坊主で終わると思っていました」と宮城さん。ただ、周囲の嘲笑が逆に負けず嫌いに火をつけた。県総に毎日通い、シュートを午前と午後、そして夕方にそれぞれ100本決めることを目標にひたすら練習を続けた。

うまい選手を見つけては「どうやったら、そんなにうまくシュートを決められるのですか?」と聞いて回ったが、若いプレイヤーの中に唐突に現れた50代のビギナーに周囲は冷たかった。うまい選手の投げ方、シュートの決め方をじっと観察した。やがて少しずつ決まるようになって、まずは小学1年生にリンクの周りからのシュート勝負を持ちかけた。

「勝てた」。次は小学2年生、3年生とハードルを上げていき、県内1、2位を争う中学生にも勝てるようになった。

「調子に乗って県内の優勝経験もある強豪チームの高校生に3ポイントの勝負を申し込みましたが、流石に負けました」。それでも挑み続けた。「3回目からは勝てるようになった」。

毎朝午前9時の県総の開館と同時に行き、シュートを午前100本、午後100本、夕方100本、シュートを決めるまで続ける練習は一日12時間にも及んだ。腕を上げた宮城さんは数年後、3ポイントシュートでの勝負を周囲に持ちかけるようになった。バスケットから6メートル以上離れた場所から次々とシュートを決める宮城さんに周囲は驚いた。

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■コロナ禍ではコートの使用ができず、練習を中断

県総での練習を約12年続け、今の自宅から近い「アラハビーチ」に移る。原因はガソリンの値上げだった。

「こちらに移ってから大分、練習をサボるようになりました」。それでも午前と午後、50本の3ポイントシュートを決めることを目標に日々の練習に臨む。ただ、コロナウィルス感染拡大の影響でコートを使えなくなった時期もあった。練習の虫である宮城さんも家にいることを余儀なくされ弱気になった。「体力も落ちている。天国の門が狭くならないうちに行った方が良いかな」と落ち込んだ時期もあったという。

コロナ禍後、練習を再開したが「手足が伸びない。バスケットの真下からシュートしても入るのは10本中2、3本。最近になってようやくフリースローが決まるようになりました。勘を戻すには最低でも3倍の時間がかかります」と、コロナ禍による練習の中断を悔やむ。

瀬長亀次郎揮毫の「不屈」Tシャツを着て練習に臨む宮城義光さん(1月5日、沖縄県中頭郡北谷町のアラハビーチ)撮影:本田路晴

■「3ポイントの神様」復活へ、八村塁や渡邊雄太との勝負はあるか

練習を再開した宮城さんだが、琉球ゴールデンキングス田代直希渡辺竜之佑(当時)の両選手に3点シュートで勝利し、「3ポイントの神様」と周囲からは呼ばれた2017年の勢いと冴えはまだ取り戻せずにいる。

それでも宮城さんは諦めない。練習の際に必ず着用する「不屈」と書かれたTシャツがそれを物語る。揮毫(きごう)したのは沖縄における反米闘争の象徴的人物、瀬長亀次郎だ。

瀬長は米軍統治下の沖縄で立法院議員や那覇市長を歴任するも、米軍当局からは「好ましからざる人物」と目の敵にされ投獄されたりした。沖縄返還前の1970年11月15日に行われた沖縄の国政参加選挙で衆議院議員に当選し7期務めた。

宮城さんは東京で働いていた20代の時にバナナ一房を持って、アポなしで瀬長を議員会館に訪ねた。その時、瀬長は色紙に「不屈」と書いて手渡してくれたという。「沖縄のために命をかけた素晴らしい人だった」。その瀬長の「不屈」の精神に倣い、宮城さんは復活をかける。

50歳から始めたバスケット歴も28年となった。これまで使い潰したバスケットボールは35個。ボールの平均寿命は約1年。ボールの表面の突起部分が全てなくなり、手の甲で掴めなくなるまで使い続ける。

伝説のおじいが、W杯で八村塁(左)、渡邊雄太と3ポイント対決する可能性はあるのか (C) Getty Images

宮城さんにはバスケW杯開催の8月25日までには完全復活してもらい、ぜひ日本代表入りが確実されるロサンゼルス・レイカーズの八村塁や、ブルックリン・ネッツの渡邊雄太との3ポイントシュートの勝負をしてもらいたい。

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著者プロフィール

本田路晴(ほんだ・みちはる)●フリーランス・ジャーナリスト

読売新聞特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジア・プノンペンとインドネシア・ジャカルタに駐在。その後もラオス、シンガポール、ベトナムで暮らす。東南アジア滞在歴は足掛け10年。趣味は史跡巡り。