男子テニス・杉田祐一が高校生に伝えた価値 「スポーツは人の豊かさに繋がる」

雨上がりの東京都内、ひときわ一心不乱にボールを打ち、機敏な動きを見せていたのは「日本の樹プロジェクト」を発動させた杉田祐一だ。

練習相手はプロジェクト選考を突破した高校生7名。杉田の世界レベルのプレーに興奮しながらも、向かってくるボールを返すことに必死になっていた。

テニスコートに入るなり、杉田が作り出すピーンと張り詰めた緊張感がたまらない。仙台の有力選手から世界のスターと成長した彼は、目の前で容赦なく凄まじいボールを高校生に打ち込んでいた。それは、まるで今まで歯を食いしばり乗り越えてきた自分自身をさらけ出しているようにも見える。その姿から高校生たちは何を受け取っているのだろうか。

≪文:久見香奈恵
元プロテニスプレイヤー。2017年引退後、テニス普及活動、大会運営、強化合宿、解説、執筆などの活動を行う。

杉田祐一がテニスで伝えたいこと

(C)Photo by Jaimi Chisholm/Getty Images

練習会に参加した高校1年生の小林拓矢くんは、杉田から放たれる強烈なボールを受けながらも水を得た魚のように生き生きと練習にのめり込んでいた。

「スクールの練習と違って、プロが普段からしている練習方法だったりトレーニングを知れて、とてもいい機会になりました。しんどい練習も楽しくてしょうがなかったです。コロナで練習もできなかったし、全国大会もなくなったけど……杉田さんに練習してもらって、また頑張ろうと思えました」

小林くんは杉田のFacebookからプロジェクトの詳細を知り、すかさず応募に踏み切ったという。「こんなチャンスは二度とない!」、その想いから、杉田と練習したい旨と今までの自分の経験を元に文章を綴り、ダイレクトメッセージを送った。

応募してくれたこと、とても嬉しかったですよ」。杉田は満面の笑みで参加者を迎え入れた。インタビュー記事にも書いた通り、この練習会に参加したのは小林くんのように全国大会に出場しているような選手ばかりではない。テニスを始めて数年の選手も同じようにコートに立っている。そこには杉田の伝えたいことが大きく関連しているように思える。

杉田は昨年末、自身のブログに「私がテニスで伝えたいことはテニスの楽しさや現状や近況ではない。人が豊かになるということや、プロスポーツ選手として伝えられることは何なのかということです」と書き綴った。私はこの想いに大変興味を持った。

その部分について、杉田は過去を噛みしめるように話してくれた。「一度、36位までランキングを上げられたものの、そこから一気にランキングが落ち始めた時に、自分の価値というのは『何で決まってくるんだろう?』とふと考える時期がありました。その時は、すごく賞金も稼いだし名誉も得た時期だったけど、ランキングが落ちたら価値も一緒に下がっちゃうのかなと……いろいろ考え始めた時もありました。

でも絶対そんなことで自分の価値なんて決まらないと思ったし、そんなことより苦しい経験をした中で立ち上がれることの方が、とにかく大事だと。自分があの落ち込んだ時に、またもう一度、世界トップの場所で戦いたいと思えるようになった。それが以前より豊かになれた部分だし、またこの経験を若者へ伝えることで更に自分自身を豊かにするんじゃないかと思いました」

プロとして戦う以上、ランキングで判断される厳しさは身をもって知っている。トップで戦い続ける難しさも知っている。現状はどうであれ、何事にも立ち向かう強さが人生に必要だと若者に伝えたい。実際に今も夢を追い、挑戦を続けている彼だからこそ、この言葉に重みがある。そしてその強さはスポーツからも十分に得られ、生きることに役立つとも言える。

高校生たちに伝えた価値

杉田は練習終わりに参加した一人ずつに声をかけ、今日の頑張りに拍手を送った。現段階でのレベルの違いはあっても、今日のベストを出し切れるように努力できたか。それがこの練習会での必須条件であり、最低条件のような厳しさを同時に感じた。

「まず、こうして練習会に参加するために自ら行動を起こしたくれたことに感謝している。こうやって自主的に行動を起こすことがどれだけ重要であるか気づいてほしい。目標に向かい日々ベストを出すことで未来が変わる。

そしてテニス以外にも学校での生活も大切なんだ。男の子だから一緒に悪さをするような友達の存在も必要な時があるかもしれない。けれど、こうしてライバル関係がある中で一生懸命に取り組むことは、とても重要なことで良い未来に繋がる。そんな仲間を大切に、これからも挑戦し続けてほしい

若者たちの不安を消し去るかのように、杉田の声が響いた。子供たちは今回のコロナ渦から受けた消失感から少し抜け出せたように、疲れと充実感が入り混じったような表情で家族とともにコートを後にした。この日をきっかけに、また自分自身の未来に希望を見出し、それぞれの道を突き進むことだろう。

杉田も最後の挨拶を済ませてホッとしたかのようだった。そして直接、自身の呼びかけに反応した子供達に触れ、心が震え感情が高ぶっているようにも見えた。「伝えたかったことは伝えられたのか。しっかり受け取ってもらえただろうか」。高校生たちの心を動かしたと同じように、彼自身の心も今、行動を起こしたことで揺さぶられ続けている。

スポーツが与えてくれること

この日見た杉田の姿は、子供達にだけでなく、私の心にも豊かさを与えてくれたように思う。

私自身、現役中に勝ち負けという結果に固執するあまり、優勝以外に価値のあるものはないと考えていた。そんな自分が夢半ばで引退してからも、こうしてテニス界の仕事に関わるのにはスポーツの価値はそんな単純なものではないと恩師が教えてくれたことが大きかったからだ。

世界一位になった人だけが成功者というならば、二位からの人はすべて人生に失敗したことになるのか

そう私に投げかけてくれた元デ杯監督の竹内映二氏には今も感謝している。競技生活を辞めてからも続く人生。世界一になれなかった自分自身の過去を失敗だと思うことは極端に減った気がする。

それよりも世界を旅し人々に触れ、一つのことを突き詰めようとした時間に宝物は沢山詰まっている。それを見逃しちゃいけないよと教えてくれた。あれからもこうして彼の言葉は私の中で生き続け、自身の生き方や豊かさを確かめさせてくれる心の鍵のような役割をしている。

杉田も「スポーツが人を豊かにする」と断言していた。彼もきっと同じようなことを考えているような気がした。杉田はまだ31歳。今までのキャリアから絞り出した想いは、経験とともに成熟し新たなスポーツの価値を生み続けるだろう。そして今回話してくれた言葉以上に、中高生たちに伝えたいことはまだ山程あるはずだ。

15年前のインターハイ、「湘工」の名札を胸に杉田はテニスコートで輝いていた。その後もプロとして勝利へと驀進していた結果、今この中高生世代にプロスポーツ選手としての生き様を繋ぎ渡している。

新たなスタートとして日本中に知らせの鐘を鳴り響かせる。「日本の樹プロジェクト」は、若者の心を大いに奮い立たせ、いつの日か大輪の樹としてそびえ立つ。そして満開に花は咲き誇り、これからの日本スポーツ界の礎を築くことになるだろう。

≪久見香奈恵 コラム≫

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著者プロフィール
久見香奈恵
1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。
園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。
2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。

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