【パリダカ回想録】第4回 スペシャル・ステージとリエゾン、そしてアフリカの大地へ

搭乗したバスが、リエゾン中の増岡パジェロと期せずしてランデブー バスの窓からの一葉 (C)Yoshihiko Nakada

■パリからボルドーへ、SS2の舞台を追いかけて

トロカデロ広場をスタートしたラリーは近郊でのSS1(スペシャルステージ1)を経て一路南へ。ボルドーまでの長距離リエゾン(自走移動)だ。

ヨーロッパ域内でのSSは、ある意味「顔見せ興行」の側面もある。94年で言えば、我々が向かったボルドーの4.5kmの特設コースSS2、さらにスペイン・グラナダSS3までがそれにあたる。グラナダを離れてから60kmを超える本格的なSS4(それでもパリダカとしては短い)が設定されていた。

三菱チーム応援ツアー一行はホテルをチェックアウト、モンパルナス駅でボルドー行きのTGVに飛び乗った。普通の観光ツアーにはないタイトスケジュールで昼食は各自手配。

当時のTGVの乗車券。TGVとはフランスの高速鉄道だ (C)Yoshihiko Nakada

私も主催者支給の携行食(チーズやナッツ、エナジーバー程度のパック)では足りないと、ホームのスタンドで刻んだハムをはさんだだけのシンプルなバゲットと水を調達。エキナカには美味いハンバーガー店があったが(前日に利用していた)、そこまでの時間すらなかった。みなホームで買える作り置きメニューを持ち込みシェアしているようだ。ゆえになんとなく車内は修学旅行状態、それもまた良し。検札の車掌もMITSUBISHIの団体だとわかるとノーチェックだ。そんなおおらかさもパリダカらしい。

■Fujiyama Attackと観覧席もマッディなSS2

ボルドーに到着した我々はモンパルナスとは真逆の小さな宿に入った。古さも雰囲気の良さとなり、落ち着く場所だった。一人部屋をあてがわれた私は落ち着き過ぎて眠り込んでしまい、篠塚選手らとの夕食をスッポカしてしまったことは、本当は隠しておきたいところだ。

ボルドー駅前で、ラリーアート社石川氏と。彼女は同志、そして戦友 (C)Yoshihiko Nakada

12月29日は雨音で目が覚めた。

午前4時、相当な雨。テレビをつけると日本のアニメが!

タイトルは「Fujiyama Attack」、これは昭和のスポ根・女子向けアニメ「アタックNo.1」だ。ボルドーで朝4時からアタックNo.1を見ることになろうとは……。

いかにも田舎料理な朝食を済ませ、SS2にバスで向かった。

途中で三菱ラリーアートチームとランデブー。会場に到着するとSSは案の定、ドロドロのマッディなコンディション。コースばかりか観客の移動ルートも同様。コースサイドには傘の花が咲いていた。

泥沼のSS、走行は三菱PX-33 (C)Yoshihiko Nakada

■戦いの場はスペイン、そしてアフリカへ

泥との格闘の末、ようやく観戦ポイントにたどり着いたときには三菱シトロエンともワークス勢のプロトは走り終えていたが、幸いT2クラスの上位車両のアタックは見ることができた。戦前三菱が日本陸軍のために生産した四輪起動車を模し、プライベーターに供与された「三菱PX-33」(旧型T3パジェロがベース)も健闘していた。

あまりのバッドコンディションにスタック続出。オート(4輪)の20数台が走ったところでSSはキャンセルとなった。カミオンの豪快な走りを見せようとやる気マンマンでスタートに向かおうとしていた日野レンジャーで参戦した「チーム子連れ狼HINO菅原義正選手と遭遇し、バスの窓からSSキャンセルを伝えると拍子抜けしたご様子だったのも、振り返ると思わず笑みがこぼれるエピソードだ。

三菱チームの応援ツアーは、ボルドーまで。しかし「パリダカ」はこの先スペインのグラナダを経由、海をわたり、アフリカでの本格的なステージが待ち構えていた。

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著者プロフィール

中田由彦●広告プランナー、コピーライター

1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。

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