【テニス】「全日本の魔物」を克服した清水悠太、初優勝への道程

全日本選手権で悲願の初優勝を果たした清水悠太(C)Yoshiharu Yokoyama

「ずっと優勝したかったですけど、本当にできるとは思ってなかったです」。全日本テニス選手権でシングルス初制覇を成し遂げた清水悠太は、緩やかな口調で大会を振りかえった。

毎年楽しみにしているという全日本テニス選手権、その国内最高峰大会への高揚とは裏腹に、誰もが羨む全日本タイトルへの執着から会場は独特な緊張感に包まれる。選手間では「全日本には魔物がいる」と言われるほど。実力者であってもこの緊張感を統制することは容易でない。それは清水にとっても例外でなく、この独特な緊張感に何度も打ち破れてきた経験を持つ。そして2年連続で第1シードとして挑む今大会は、負けられないトップシードの意地に加え「情けない試合はできない」と過去の自分との戦いでもあった。

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■「全日本の魔物」に襲われる

清水にとって初めて「全日本の魔物」に打ちのめされたのは2018年大会。同年4月、高校卒業後にプロ転向を果たし、フューチャーズ大会での3勝を勢いに全日本へと乗り込んだ。初戦から順調な勝ち上がりを見せ、迎えた準々決勝の関口周一との一戦は大会注目カードとして双方の攻防戦に期待がかかった。ところが試合開始早々から緊張感の大きさから体は重く、心身の不一致から相手と組み合うこともできずに清水のテニスは音を立てて崩れ落ちた。結果0-6、0-6の大敗を喫し、自身のふがいなさから意気消沈する試合となった。

その翌年は決勝まで辿り着くものの、一歩及ばず野口莉央に敗れ、歓喜の雄叫びを爆発させる相手を見ることなく大の字でコートへと倒れ天を仰いだ。2020年大会は山崎純平に敗れベスト8止まりに終わり、やはり全日本独特の緊張感から自分自身をコントロール仕切れないもどかしさを感じ取っていた。緊張場面でのゲームコントロールは選手にとって真価が問われるものだ。だがこの局面でこそ勝負強さを発揮すべきだと思えば思うほど心の揺れが消極的なプレーに繋がってしまい、結果を出せない自分を責める気持ちは年を重ねるごとに色濃く残った。

そんな自身の弱さと向き合うかのように、清水の部屋の壁には1枚の写真が張り付けられている。それは2018年大会で関口に大敗した直後、ボロボロになった感情を抑えきれずにうなだれて握手をしている自身の姿だ。

「あれは情けない試合をした自分への戒めなんです。今もあの写真を見返すことで、まだまだ自分は弱い。もっと頑張らなきゃいけないとあの時の経験を糧にしてきました。でも、写真が送られてきた時は、正直ちょっとイラっとしちゃったんですけどね」。

■自身に「大丈夫。大丈夫だ」と言い聞かせる

そう打ち明ける姿の裏には、写真の送り主でもある父、渉さんの存在がある。「これを持っておき」そう一言だけ添えられた写真は、2018年大会後に一人暮らしする息子の元へ他の荷物に紛れ届けられた。

清水の実家は滋賀県でテニスクラブを運営していることもあり、中学卒業まで父が指導者としてテニス道を支え、休日でも2~3時間の球出しで1000球以上のボールを打ち込むことが二人の日常であった。そんな父からの予期せぬ贈り物に、一瞬苛立ちが体内を駆け巡った。しかし、気付けば写真は部屋に飾られ、もはや今となれば清水の原動力へと移り変わった。

一見、物静かで優しげな佇まいに反して、心のうちに激しさを隠し持つ情熱家は、今回ばかりはどうしても自身の殻を打ち破りたかった。時折、訪れる不安の波には「大丈夫。大丈夫だ」と言い聞かせ続けることで瞬時の決断を後押しし、上手く乗り越えることができた。「根拠がなくてもそう言い続けろ」と大会直前に清水へ伝えたのは高校時代から指導にあたる駒田コーチだ。この言葉の裏には、指導者として普段から彼のテニスへの姿勢を間近で感じ、厳しい練習を支え「実力を発揮すれば必ず勝てる」という裏付けがあったことだろう。

そして幸か不幸か、昨年末から疼きだした古傷の痛みから思い通りに練習を積めなかった時期、痛みを感じずに打つことができたボレーを、持ち前の反骨精神と共に磨きをかけ今大会の攻め切るプレーを築き上げた。

最後まで第1シードの貫録を見せ国内最高峰大会を制した清水は、誇らしげに天皇杯を掲げ、胸の内に隠し持ったもどかしさを乗り越えた清々しい姿であった。

そして1枚の写真から過去の事実と向き合わせた父からは「このプレーを続けられればグランドスラムが見えるかもね。1週間幸せでした。ありがとう」というメッセージが届いたという。清水はクスッと笑い「父があれを飾っとけって言ったおかげですね」と恥ずかしそうにつぶやいた。

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著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。


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