選手生命の危機から9年ぶりの全米決勝、デル・ポトロのテニス人生が映画並みにドラマチック

NEW YORK, NY - SEPTEMBER 09: Juan Martin del Potro of Argentina returns the ball during his men's Singles finals match against Novak Djokovic of Serbia on Day Fourteen of the 2018 US Open at the USTA Billie Jean King National Tennis Center on September 9, 2018 in the Flushing neighborhood of the Queens borough of New York City. (Photo by Matthew Stockman/Getty Images)

数年前のテニスファンに「2018年の全米オープン決勝を争っているのは、ノバク・ジョコビッチとフアン・マルティン・デル・ポトロだよ」と伝えたら、信じる人がどれだけいるものか。

ジョコビッチ選手に関しては納得されるだろうが、デル・ポトロ選手が再び4大大会の決勝に戻るなど、悪い冗談のような反応をされはしないか。

一時期からすれば、それほど驚くべき復活劇をデル・ポトロ選手は遂げた。

全米オープン優勝!次代のスター候補に躍り出るもケガに泣かされる

デル・ポトロ選手は2009年に全米オープンを制覇し、「次代のテニス界で主役になる男」と目された人物だった。

この大会では準決勝でラファエル・ナダル選手を、決勝では大会6連覇を狙っていたロジャー・フェデラー選手を破ったデル・ポトロ。20歳11ヶ月という史上5番目の若さで王座に就いている。

当時のテニス界を支配していたフェデラー選手とナダル選手を1大会で連破してグランドスラムを制覇したのは、デル・ポトロ選手が初めてだった。

全盛期のふたりを続けて破りグランドスラムタイトルを獲得したデル・ポトロ選手には、当時の若手選手の中でナンバーワンと評価する声も多かった。

後にフェデラー選手、ナダル選手とともにBIG4としてテニス界に君臨するジョコビッチ選手、アンディ・マレー選手と比べても、この時点では一歩抜け出した存在だったといえる。

ところが、2010年に右手首を故障して手術すると、以後はキャリアの要所で故障に悩まされることになった。ロンドン五輪の銅メダルやウィンブルドンのベスト4はあったものの、4大大会やマスターズ大会の優勝はないまま。

結局、2014年に今度は左手首の手術で長期離脱を余儀なくされる。

2015年に入っても左手首は完治しなかった。この2年間でデル・ポトロ選手は3度の手術を行い、もうトップレベルに復帰するのは無理ではと限界説がささやかれることも。

しかし、アルゼンチンが産んだ天才は常人の想像を超える復活劇を見せる。

ウィンブルドンで復活の兆し、リオ五輪でシングルス銀メダル

2016年にツアー復帰を果たしたデル・ポトロ選手は、ウィンブルドンで3年ぶりに1回戦を突破すると、2回戦では世界ランク5位のスタン・ワウリンカ選手に第1セットを落としたところから逆転勝ちして3回戦に駒を進めた。

ケガの長期離脱で世界ランクを165位まで下げていたデル・ポトロ選手が起こした大波乱に、世界中のテニスファンが驚き熱狂した。

試合後の会見でデル・ポトロ選手は、勝利の瞬間には手が震え「私は生きていると感じました」と語った。「これは自分にとって2度目か3度目のテニス人生だ」と、復帰までの道のりの険しさを口にしている。

「3度目の手術のあとスポーツに戻って来るのは本当に大変でした。だけど、いまの私は再びテニスを楽しんでいます。私が再びトップの位置に戻れるかは分かりません。しかし、もしそれが無理だったとしても、再びテニスができて幸せを感じます」

この大会は3回戦で敗退したが、続くリオデジャネイロ五輪では銀メダルを獲得して復活を印象づけた。さらに国別対抗戦デビスカップでも大車輪の活躍を見せ、母国アルゼンチンに初のタイトルをもたらした。

再びトップレベルへの階段を登り始めたデル・ポトロ選手は2018年、完全復活を印象づける活躍をする。

9年ぶりの全米オープン決勝

2月のメキシコ・オープンで優勝すると、3月のBNPパリバ・オープンではフェデラー選手を破り、4大大会に次ぐ格付けとされるマスターズ1000大会の初優勝を飾った。

全仏オープンでは準決勝でナダル選手に敗れたが、2009年以来のベスト4入りを果たし世界ランキングも自己最高タイの4位に浮上した。

8月にはキャリアハイを更新する3位に浮上し、もはやデル・ポトロ復活を疑うものはいない活躍ぶりだった。

そして迎えた全米オープンでは、1回戦から4回戦までストレートで勝ち上がる強さを見せる。準決勝ではヒザを痛めたナダル選手が棄権し、優勝した2009年大会以来の決勝進出を果たした。

「私はケガをした間もあきらめたことはありませんでした。ケガを治して、再びこの舞台に帰ってくることを考えていました。9年かかりましたが戻ってこられたのは、自分にとっても信じられないほど素晴らしいことです」

決勝では、鉄壁の守備を持つジョコビッチ選手にストレートで敗れたデル・ポトロ選手。しかし、試合後の会見では悔しくて泣いたとしながらも、勝者を爽やかに称えた。

正直に話すと、私はさっきまで泣いていました。敗れたことはとても悲しいです。だけど、ノバク(ジョコビッチ)は優勝するに値するプレーをしました。非常にスマートで素晴らしいゲームだったと思います。」

「私にも第2セットと第3セットでチャンスがありました。しかし、フォアハンドでもバックハンドでも限界ギリギリまで攻めましたが、そこには常にノバクがいたんです。彼は偉大なチャンピオンです。そして、私は彼が優勝して嬉しいとも思っています

BIG4時代に生まれたのは不幸ではなく幸運

フェデラー選手がウィンブルドン選手権で優勝し、グランドスラム初制覇を果たしたのは2003年。

翌年から本格的なフェデラー時代が始まり、この15年間で4大大会は60回行われてきたが、そのうち50回をフェデラー選手、ナダル選手、ジョコビッチ選手で分け合っている。

2004年以降の男子テニス界で、2回以上グランドスラムタイトルを獲得した選手は、この3選手を除いてはマレー選手とワウリンカ選手しかいない。

その間に多くの才能ある選手が敗れ去り、無冠のまま引退する背中には「BIG4以外の時代に生まれていれば」との声がかけられた。

今回の全米オープンでも高い壁となって立ちはだかったのはジョコビッチ選手だった。だが、デル・ポトロ選手は「彼らをトーナメントで破るのは大きな挑戦だ」としながらも、同時に「伝説的な選手の間近にいられることを誇りに思う」と話す。

「私はキャリアの中でノバク(ジョコビッチ)、ロジャー(フェデラー)、ラファ(ナダル)が多くのタイトルを獲得するのを目撃してきました。彼らのためにグランドスラムタイトルを獲得できなかったことは、悲観することではありません。私は彼らと同じ時代に生まれた幸運な人間のひとりであり、これは素晴らしいことなんです」

30歳になっても現役への意欲は衰えず

世界中を転戦しながらタフな試合に臨むテニス選手は、見た目の華やかさに対して現実は過酷な生活を送っている。

30歳を区切りに引退を考える選手がほとんどだ。だが、今月で30歳になるデル・ポトロ選手は「まだしばらくはテニスを続けます」と現役で戦い続ける意欲を示した。

「キャリアで最後の大会がいつになるかは分かりませんが、私は自分自身を驚かし続けることに興奮しています。私は再びタイトルを争っているんですよ」

そのモチベーションの一端には、大人として次世代への模範になりたいという義務感もあった。

「私は子供たちの手本になり、人生で目標を達成するためには、努力し続けなければならないと教える義務を果たしているんです」

本来ならキャリアの絶頂期になるはずの時間をケガで棒に振り、選手生命の危機に立たされながらもあきらめずカムバックしてきたデル・ポトロ選手。その姿は、今後も目標に向かって努力し続ける模範となるだろう。

全米オープンの様子をインスタグラムに投稿したデル・ポトロ選手。ファンの応援に感謝する旨を記し、大会を締めくくった。

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