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【競艇】大一番のグランプリ戦に挑む丸野一樹 ボートレーサー界の常識を破るトレーニングとは……

【競艇】大一番のグランプリ戦に挑む丸野一樹 ボートレーサー界の常識を破るトレーニングとは……
第36回グランプリで優勝を目指す丸野一樹 写真:本人提供

八木ジムに通いだした学生時代は根っからの野球少年、夢にプロ野球選手を掲げていたこともある。しかし中学2年生の時に身長が166cmで止まったことをきっかけに先々の道を真剣に考える転機が訪れた。父が好きだった影響もあり競艇所へ連れて行ってもらうとモーター音を響かせ颯爽と走り抜けるレーサーの姿に心踊らされ、見つけた「ボートレーサー募集中」の文字に目が奪われた。身長と体重制限があることで一気に興味が沸き、劣等感さえ抱いていた身長の低さを活かせる職業に惹かれたという。「スポーツ選手は大きくなければ活躍できない」その概念を崩してくれた水面上の戦いへ、丸野は人生の舵を切りなおした。

プロレーサーを目指し準備を始めたのは野球を引退した高3の夏、秋に実施されるボートレーサー養成所の入試試験に向け、大きな筋肉で覆われた72キロの体重を応募資格の最上限である55キロまで落とすことから始まった。約2カ月で目標体重をクリアし痩せ細った姿に2学期始まりのクラスでは「丸野が病気になった」と大きな話題になったと振り返る。

学生時代について話す丸野一樹 写真:本人提供

「隣の席の女子が『本当に丸野』って、びっくりしていましたからね。」、そう笑いながらも、当時の減量方法に知識が少なかったと自負する丸野は、極端な食事制限と体重を落とすためだけのトレーニングから毎日貧血に襲われていたと話す。また野球のようにパワーを生み出すためにトレーニングの大半は筋肉量を上げることに使っていた時とは違い、減量をしながら揺れる水上でボートを操る体を作ることが最初の壁となった。

「あの頃は野球から競艇への体の変化が大きすぎました。筋肉が減りすぎてヘロヘロで入試試験を受けて1回目は不合格。2回目の試験で合格できました。とにかくボートレーサーは体重制限があるので筋肉量を増やすことはできません。そのなかで今ある筋肉をどうしなやかに強くするかが課題になりました。だからこそボートレーサーに適したトレーニングを考えることから始まりました」。

このような経緯から独自のトレーニング開発に着手。今では丸野のトレーニング方法を支持し、現役のボートレーサーから養成所に入りたい若手たちが遠方の福岡や広島からも京都のジムに訪れるほど、ボート界でフィジカルの重要性を説く人物として影響力を持った。

またジムには近辺の住民たちが健康維持やフィジカル強化を目的にリハビリやトレーニングに訪れる。女性がハードなトレーニングを黙々とこなす姿を横目に「凄いでしょ。こんな厳しいトレーニングできますか。ここで頑張る皆さんから僕が元気をもらっていますよ」と目尻を下げた。この場所に10年以上通ってきた丸野にとって地元の温かい声援は大きなエネルギーになっている。

フィジカルの強さを武器にキャリア10年目で辿り着いたグランプリ戦を前に、丸野は「やっとですよ」と安堵の笑顔を見せた。そんな優しい表情から一転、すぐさま「優勝賞金1億円を狙い走り抜けたいですね」と勝負師のギラついた目を輝かせグランプリ戦での活躍を誓った。

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著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動をはじめ後世への強化指導合宿で活躍中。国内でのプロツアーの大会運営にも力を注ぐ。