「優勝を本格的に狙える」国内最高峰の全日本テニス選手権が始まる1週間前、坂詰姫野(さかつめ・ひめの)の奥底に確かな自信が芽生えていた。
「なんだか不思議なんですけど、今回は調整が上手くいったこともあり、このテニスがしっかりできれば優勝するんだろうなって」。
その言葉通り、第1シードの重圧を吹き飛ばしていくかのように21歳はライバルたちを抑え込んでいく。振り返ってみれば1回戦から決勝戦までセットを失うことなく、初の全日本テニス選手権の栄冠に輝いた。「もう全日本は緊張して当たり前なので、割り切ってやるべきことに集中できたと思います」と歓喜の優勝から一夜明け、坂詰はコロナ禍で掴み取った成長を振り返った。
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■2年半、厳しいコロナ禍の戦い
初めて全日本を経験したのは17歳のとき。
同年の夏、18歳以下のジュニア部門で優勝しワイルドカード(主催者推薦枠)を獲得しての出場だった。あれから5年、「毎年優勝するって言って、今回は本当にできました」と安堵の笑みをこぼす。不安と緊張、それは確かに坂詰のなかに存在していた。だが「いま自分が目指すべきものは何なのか」と自問自答の末、目先の勝利ではない、プロセスそのものにブレずに集中することができたという。
「緊張に負けなければ、勝負できる。自信をもって戦うことが大事」そう何度も自分に言い聞かせた。その裏付けは、厳しいコロナ禍の2年半の戦いにある。
坂詰は、プロ転向後すぐにコロナ禍によるツアー停止を経験。これからという時に活躍の場を失った。パンデミック以前は、アジア圏の大会を頼りにコーチやトレーナーを帯同させ世界と戦う術を探していたという。「コロナでツアーが停止していなければ、もうすこしアジアを周っていたと思います」と、奇しくもアジア圏で大会がなくなったことが坂詰を欧州へと足を踏み入れさせた。
欧州からアフリカ大陸、そして北米へと渡り歩き、約2年の遠征で世界ランク639位から305位へとランクアップ。現在、自身のキャリア最前線を走りながら「自分が思っている以上に国内ランキングも上がっていた」と国内7位で今年の全日本第1シードを担った。
■ラケット1本で人生を切り開く覚悟
コロナ禍のなか、早期に大会再開に踏み切った欧州へ飛び出した決断を「いま思えば、良い選択だった」と振り返る。何よりもプロ序盤に自分より手足が長く、パワーテニスで攻め入ってくる強豪たちのなかに身を置くことができたからだ。しかし、簡単に彼女たちを突破できたわけではない。「あの頃の私はいかに、相手の時間を奪いきるかで勝負していました。それで世界に挑むのだと。でも私のサイズでは、彼女たちのパワーに対抗するのに足りないことが分かった。パワーに押されて打点さえしっかり捉えられない。中途半端に前にいるから守備もできない。その現実が私に変化を生んでくれました」。
自身の主軸だったフラット系のテンポの速さを封印するかのように、一度「足を使って稼ぐ」守備面に目を向け直した。「走り方も変えて、ボールの質を上げるためにはどうしたらいいかと色んなことを試しました。スピン量を上げて、外に跳ねるボールを使いながら相手と組み合う。それがフィットしだしたときは、これが新しい私のスタイルなのかも!と思ったくらいです」。
パンデミック後は資金や出入国の厳しさから初めて一人で世界をまわる苦労を経験した。ストリーム配信でコーチから助言を受け、歩む日々。「大変だったけど、一人でなんとかするしかなかった」とプロとして、ラケット1本で人生を切り開く覚悟は強まったという。「一歩ずつでも前に。負けても次はどうすればいいのか、どんなボールを打てるようになって何を選択すればいいのか、それが見えている時は取り組むだけだった」と苦悩の期間にも向上する喜びを忘れることはなかった。