来季も多くの侍たちが海を渡りMLBに挑戦する。ポスティングでの移籍を目指す佐々木朗希投手や、小笠原慎之介投手、青柳晃洋投手など注目選手が多数いるが、中でも35歳でオリオールズと契約した菅野智之投手がどのような活躍を見せるかは日本のみならず、現地でも注目を集めている。
ベテランでのMLB移籍といえば、過去にも何人かが挑戦してきた歴史がある。菅野と同じく同じ巨人から34歳で挑戦し、ワールドシリーズの胴上げ投手にまで上り詰めた上原浩治氏や、33歳で移籍しドジャースとヤンキースで確かな評価を得た黒田博樹氏は記憶に新しい。また、35歳以上での挑戦者に限ると過去9人となっている。
日本球界で実績を積んだベテランが、夢やさらなる高みを目指して海を渡ってきた。今回取り上げるのはそんな投手たちのなかでも異例かつ鮮烈だった右腕。35歳のシーズンで3勝4敗と思ったような成績を挙げられなかったにもかかわらず、翌年強い志を持ち海を渡った斎藤隆氏だ。
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■マイナー契約から守護神定着
斎藤氏は、1991年に横浜(現DeNA)から1位指名を受けNPB入り。東北福祉大学在籍時には、主に内野手として出場していたものの、2年次にその才能を見出され投手に転向。投手としてわずか数年のキャリアにもかかわらず、ドラフト1位指名されるという異例のキャリアの持ち主だ。キャリア初期は先発としてローテの柱となっていたが、1997年の手術後に一度中継ぎに転向、後に再び先発、そして抑えとあらゆる立場で横浜の投手陣を支える精神的支柱として活躍した。
MLB挑戦は2005年オフ。2002年にも一度MLBへの挑戦意向を示したものの、当時は断念。3年越しの挑戦となったが、同年の不調に加え36歳という高齢を懸念して獲得に名乗りを上げる球団はなかなか現れなかった。それでも、ドジャースとマイナー契約を結びスプリングトレーニングに招待選手として参加すると、クローザーが故障者リスト入りしたことをきっかけとしてメジャーに昇格。15試合連続無失点を記録するなど、1年間を通して好調をキープ。結果的にチーム最多の72試合を投げ、6勝2敗24セーブ7ホールド、防御率2.07、奪三振107、WHIP0.91という素晴らしい成績をおさめた。
2007年も引き続きクローザーとして起用された斎藤氏は、この年もナ・リーグ3位となる39セーブをあげるなど絶好調。また、NPB時代は最速153キロだった球速が37歳にして159キロ(99マイル)まで向上するなど、末恐ろしい“成長”を見せたのだ。その後も、レッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックスと5球団を渡り歩きMLBで7シーズンを過ごした後に、NPB復帰し引退した。
■晩年に自己最高球速もマーク
年俸も、当初マイナー契約で50万ドルだったものの、2007年は100万ドル、2008年は200万ドルと右肩上がり。MLB挑戦当初は日本での高額年俸を捨て、薄給での渡米となったがドジャースでの3年間でアメリカでの地位を自ら確立させ、MLBでの最高年俸は2010年の320万ドルにまでも達したのだ。
過去の日本人メジャーリーガー達を見ても、晩年で海を渡り自身の最高球速を更新するなど、日本での活躍を上回るキャリアを送った選手は数少ない。近年、多くの日本人選手が海を渡るものの単年でNPB復帰を果たすことも非常に多い中、ベテランがマイナー契約から這い上がったそのキャリアは日本人の野球ファンにとっても深く思い出に刻まれ続けるはずだ。
■35歳以上でのMLB挑戦日本人選手一覧
2002年 小宮山悟(36歳/メッツ)
2004年 高津臣吾(35歳/ホワイトソックス)
2005年 藪恵壹(36歳/アスレチックス)
2006年 斎藤隆(36歳/ドジャース)
2007年 桑田真澄(39歳/パイレーツ)
2008年 薮田安彦(35歳/ロイヤルズ)
2009年 高橋建(40歳/メッツ)
2010年 高橋尚成(35歳/メッツ)
2011年 建山義紀(35歳/レンジャーズ)
2025年 菅野智之(35歳/オリオールズ)
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