■記録の価値がわからないのは「野球にとっては大変不幸なこと」
MLBでは近年、ビリー・ビーンが持ち込んだセイバーメトリクスなどにより『マネーボール』時代となり新たな指標に価値が見いだされつつある。しかしこうした指標はあくまで個々の選手を評価するための指針であり、野球というスポーツを記録する数字ではない。最近、日本のプロ野球、そしてメディアも時折、履き違えた数字を「記録」として掲示するケースが散見される。
その代表例が投手の球速。スポーツ紙でさえもが「日本最速」などと形容するが、それを計測するスピードガンには個体差および誤差があり、球場によって計測値の違いもある。164キロか165キロかは、ほぼ誤差の範囲。それをまるでプロ野球としての新記録であるかのようにもてはやく風潮は、いかがなものかと考える。
それに飽きると今度は「ボールの回転数だ」などと言い出し、その数字を踊らせる。もちろん、野球を見るひとつの切り口としては文句もない。「野球は記録のスポーツ」とは呼ぶものの、陸上競技ではない。ボールの速さを競い、ボールをいかに遠くに飛ばしたかを自慢するスポーツではないのだ。どうにも木を見て森を見ず……のような数字を追い求める傾向が近年強くなっているようだ。
こう書き記しておきながら、こうした公式記録に重きを置く視点は、すべて先人の受け売りだ。記録の神様がみな鬼籍に入ってしまった今、野球へのこうした苦言を呈してくれる先人を、どこに求めれば良いだろうか。NPBでは現在、「BISデータ本部室長」さえも不在となったまま。「野球のために尽力」という御仁も見かけなくなって久しい。
千葉氏の逝去にあたり、メディア関係者とも会話する機会があった。すると、宇佐美氏、千葉氏の野球殿堂入りが実現しないのは、近年の関係者や選考委員が金勘定ばかりで「記録の価値がわからないから」と結論付けられていた。「野球にとっては大変不幸なこと」との見立てに、異論を唱えるのは難しい。
これまでの歴史ある野球の記録を無視するかのように「暫定的に」DH制を導入するなどという発言がバラまかれるのも、そんな無知から生じるのだろう。しいては「ファンタシースポーツ」という数字、記録から導き出される野球の愉しみ方が定着しない点も、日本人の記録への無頓着さの表れかもしれない。
「たかが選手が」と同様、「たかが記録員が」と卑下するような関係者があってはならない。
あらためて千葉氏のご冥福をお祈りしたい。
著者プロフィール
たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー
『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。
MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。
推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。
リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。
著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。













