2013年シーズンも大詰め、クライマックス・シリーズ第2ステージは、セパともにリーグ優勝チームとレギュラー・シーズン3位のチームが対戦。昨晩は、楽天・田中将大がロッテ打線を完封。昨シーズンから続く連勝を、CSを含む参考記録ながら29へと伸ばした。さて、ここで気になるのは最優秀選手: MVP(Most Valuable Player)の行方だ。
野球ファンの読者にとって2013年、個人的に話題をさらった選手は明白だろう。パシフィック・リーグは、昨年から続くレギュラー・シーズン中の連勝記録を28とし、同一シーズンの連勝記録も24とし、投手としての連勝世界記録を樹立したマーくん。エースとして大車輪の活躍を見せ、ひとりで24の貯金を創り出しているのだから文句なしと言ったところ。
プロ野球界では、シーズン16連勝以上を挙げた投手が所属していたチームは、同一シーズンにすべて日本一を奪取。果たして楽天がその前例に倣い、初の日本一の栄冠に輝くか、非常に興味深い。前人未到の記録を打ち立て、そしてパ・リーグ優勝チームのエースだけに、田中のMVPは間違いない。
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選手個人としてスポーツ紙の一面を飾ったセの選手は、ヤクルトのウラディミール・バレンティン。これまで1964年(つまり東京五輪が開催されたシーズンだ)に王貞治現ソフトバンク会長が樹立した55本のシーズン最多本塁打記録は、ランディ・バース(阪神)、アレックス・カブレラ(西武)、タフィ・ローズ(近鉄)が挑みながら、その誰もが上回ることができなかった大記録だ。バレンティンは49年前の記録を破り、最多記録を60本まで積み上げた。日本プロ野球のシーズン最多本塁打記録をMLBに見劣りしない数字まで伸ばした功績は大きい。
ネット上などでは「飛ぶボールになった恩恵だ」と囁く愚か者も見られるが、2013年のボールはあくまで前年度のボールに比べ「飛ぶようになった」に過ぎない。統一球導入前のボールと比べると依然「飛ばないボール」には違いない点、認識してもらいたい。選手個人の成績を眺めれば、セのMVPはバレンティンだろう。
■両リーグのMVPは誰の手に……
しかし、ここでMVPの障害になりそうなのが、最下位に沈んだチーム成績だ。
MVPは1937年の制定時「最高殊勲選手」と呼ばれ、いわば「もっともチームの勝利に貢献した選手」に贈られる賞であった。1963年より「最優秀選手」となり、シーズン中「もっとも活躍した選手」に贈られる賞へと名称が変更された。しかし、セ・リーグでは、「最高殊勲選手」という余韻が強いのか、優勝チーム(もしくは最高勝率チーム)以外からMVPが選出されることは極めて稀。
2リーグ制以降昨年までに、セのMVPには延べ63人が選出されているものの、優勝チームもしくは最高勝率チーム以外から選出されたのは、55本の最多本塁打を放った1964年の王、そしてその十年後、二年連続三冠王を達成した王ひとりのみである。1964年のチームは3位、1974年は2位からの選出。セでは、Bクラス・チームからMVPが選出された前例はない。
パ・リーグに目を向けると、82年の三冠王・落合博満(ロッテ)、1988年に40歳で本塁打、打点の二冠に輝いた門田博光(南海)、2008年に投手三冠となった岩隈久志(楽天)が、それぞれ5位のチームからMVPに選出されている。
MVP投票に際し「チーム成績を考慮しなければならない」という項目はセ・リーグにもない。明文化されてもいない中、球界史上最多本塁打を放ったバレンティンのMVP受賞が見送られるような事態となれば、今後、どのような個人成績を挙げようと、チーム成績が低迷した場合は、留保される可能性が残る。プロ野球史上前人未到の記録を達成していながら最優秀選手ではないなら、個人成績の意義も薄れるだろう。
■「不滅」とされるプロ野球記録は……
王貞治の55本という華々しい記録に隠されているものの、記録更新は「不可能」と囁かれているビッグ・タイトルは少なくない。打撃部門では1950年、小鶴誠(松竹ロビンス)が樹立したシーズン最多打点161。これにもっとも肉薄したのは、1999年のロバート・ローズ(横浜)の153。パ・リーグ記録は落合の持つ1985年の146。小鶴、ローズ以外に150打点以上を記録した打者さえない。
最高打率はバースの持つ1986年の.389。これはまだ更新に期待が持てそうなレベルではあるが、あのイチローでさえ1994年に.385、2000年に.387と肉薄したが及ばなかった。.380以上を記録した打者は、他に張本勲(.3834 1970年)、大下弘(.3831 1951年)の述べ5人。バースの記録が何十年にも渡り破られない可能性も高い。メジャーに目を向けても、1941年にテッド・ウイリアムズが「最後の4割」をマークして以降、バースの記録を上回るのは、1994年にトニー・グウィン(パドレス)が記録した.394のみだ。
最多盗塁数もしばらく破られることはないだろう。1972年に福本豊(阪急)が打ちたてた106個。セ・リーグ記録は1983年に松本匡史(巨人)が記録した76個。100個どころか、シーズン80個以上の盗塁を記録したのはプロ野球史上、福本以外ない。福本は、13年連続盗塁王の記録を誇る。シーズン130個のメジャー記録を持つリッキー・ヘンダーソンでさえ、25年のキャリアで12回の盗塁王に終わっている。もっとも彼は、シーズン100盗塁を三度も記録しているのだが…。
投手部門も厳しい。シーズン最多勝記録は、1939年にビクトル・スタルヒン(巨人)が打ち立てた42勝。1961年に稲尾和久(西鉄)が最多タイを記録しているが、40勝以上を挙げた投手はこの二人以外にない。田中が土つかずで今シーズンを終え、24勝であることを考えると、記録更新は「不可能」のレベルだ。
最優秀防御率も、藤本英雄(巨人)が1943年に記録した0.73。なお、藤本は生涯通算防御率も1.90と今の時代で考えるにモンスター級。2リーグ制以降、防御率0点台を記録したのは1970年、0.98の村山実(阪神)ただひとり。MLBでも近代野球とされる1900年以降、0点台の記録は1914年、ダッチ・レナード(レッドソックス)の0.96のみ。
最多奪三振は1968年、江夏豊(阪神)の401。江夏は1967年から6年連続で奪三振王を奪取。まったく同時期に鈴木啓示(近鉄)も6年連続でパの奪三振王に輝いた。この二投手以降、300奪三振以上を記録した日本の投手はひとりもない。MLBのシーズン最多記録は、現在テキサス・レンジャーズのCEO、ノーラン・ライアンが1973年のロサンゼルス・エンゼルス時代に記録した383だ。
こうした難攻不落の記録と比肩するバレンティンの60本塁打。もちろん、野球はチームスポーツである。しかし、こうした達成不能な記録の重要性を十分に理解せず、バレンティンが選出されなかったとするなら、上記列挙した数々の記録が破られたとしても、チームが低迷すればMVPに値しないという前例を作ることになりかねない。都合、王の持つ本塁打記録が破られ、日本プロ野球界が外国人選手にも門戸を開いたという印象もつかの間、またも日本球界の鎖国的体質が問題視される。
MVPの投票権を持つのは全国の新聞、通信、放送各社にて五年以上プロ野球を担当している記者たち。MVPにふさわしい選手を1位から3位まで記入し、それぞれ1位=五点、2位=三点、3位=一点が与えられ、合計点がもっとも多い選手がMVP選出となる。
産経新聞によるとMVPについて、巨人・渡辺恒雄球団会長が「そりゃ阿部だろう」とコメントを残している。投票権を持つ各紙記者の方々、上記条件を熟考の上、球団関係者の意見に引きずられることなく、投票をよろしくお願いしたい。
それがプロ野球史上初の最下位チームからのMVP誕生を意味したとしても。いや、初づくしで、逆にめでたいじゃないか。
Yahoo!ニュース個人2013年10月18日掲載分に加筆・転載
著者プロフィール
たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー
『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。
MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。
推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。
リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。
著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。