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モドリッチってどんな人?生い立ちや人柄に迫る…貧しかった少年が世界最高のMFに成長するまで

モドリッチってどんな人?生い立ちや人柄に迫る…貧しかった少年が世界最高のMFに成長するまで
(c)Getty Images

サッカー解説者の松木安太郎さんも今大会のダークホースとして注目し、史上初めて決勝へ進出したクロアチア。

決勝で惜しくもフランスに敗れてしまったが、準決勝までの3試合すべてを延長戦まで戦い、決勝でも最後まで諦めない姿を見せたクロアチアのタフさに感動を覚えた人も多いだろう。

キャプテンと背番号10を託されたルカ・モドリッチ選手は大会MVPである「ゴールデン・ボール賞」に輝き、人口400万人ほどの小国の人々を熱狂させた。

◆「日本は難しい時間を過ごすことになる」クロアチア司令塔モドリッチが決勝Tへ自信 「誰も恐れない」

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グループステージのナイジェリア戦、アルゼンチン戦で2試合連続ゴールをあげ、マンオブザマッチにも2試合連続で選出。

決勝トーナメントでも延長後半まで決して足を止めずに走り続け、大会通算2ゴール1アシストという数字以上の貢献を見せた。

所属するレアル・マドリードでは今シーズン欧州制覇を成し遂げており、クラブと代表での2冠には惜しくも届かなかったが、これだけクラブと代表の両方で好成績を残すのは容易なことではない。

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難民の家族として生を受ける

モドリッチ選手は1985年9月9日、クロアチアのザダルという場所で生まれる。

ボスニア戦争中にセルビアの侵略者から逃れた難民の元に生まれ、父はクロアチア軍の車の整備士、母は織物労働者であった。

地元のサッカークラブ・NKザダルの会長は、幼少期のモドリッチ選手を見てこう語ったという。

「1日中ホテルの駐車場の周りでボールを蹴っている少年がいた。彼はとても痩せていて同年代の子供と比べても本当に小さかったが、すぐに彼が特別な何かを持っていることを見ることができた」

(c)Getty Images

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当時モドリッチ選手は、クロアチアの人気クラブであるハイデュク・スプリトのセレクションを受けるも、フットボーラーに必要なフィジカルを備えていないと拒否される。

しかし、その後クロアチアきっての名門ディナモ・ザグレブのスカウトの目に止まり、キャリアに光が差すこととなる。入団後すぐにクオリティーの高さを見せつけ、クラブはすぐに契約を10年延長。

クラブ職員によって多くの成長補助食品も与えられ、コンプレックスであった身長もゆっくりとしっかり成長していった。

さらなる成長を求めたモドリッチ選手は試合経験を積むため、他の国内クラブへ2年間レンタル移籍。

経験を積み成熟した後で2005年にディナモ・ザグレブで本格ブレイクを果たし、3連覇と国内カップの獲得に貢献し、2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出された。

ディナモ・ザグレブ時代 (c)Getty Images

トッテナムを経て白い巨人・レアルへ

ディナモ・ザグレブでの活躍を経たのち、2008年にトッテナム(イングランド)へ移籍。

当時のチームメイトには同じクロアチア代表のDFチョルルカ選手、のちにレアル・マドリードでもチームメイトとなるギャレス・ベイル選手が在籍していた。

2009-10シーズンにはクラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献し、翌年のチャンピオンズリーグでベスト8に進出した。

そこでの活躍が認められ、白い巨人・レアル・マドリードがモドリッチ選手の獲得に興味を示したが、トッテナムはこれを拒否。

しかしレアル加入を夢見ていたモドリッチ選手は、練習をボイコットするなどトッテナムに対して強硬な姿勢をとり、クラブも罰金を課すなど両者の関係が崩れ始め、レアル・マドリード移籍が決定した。

(c)Getty Images

2012年の加入以降、最初は順応に苦しんだものの、今ではレアルを影で支える中盤の絶対的存在として君臨。

2017年にハメス・ロドリゲス選手が退団してからは背番号10を託され、攻撃のかじ取り役としてのチームを支えている。

史上初のチャンピオンズリーグ3連覇にも大きく貢献し、世界最優秀選手に贈られるバロンドール受賞の期待も高まっている。

悲劇の連続だった少年時代

前述の通り、モドリッチ選手の家族はボスニア戦争の影響を受けた難民。当時は衣服すら不足していたり、非常に貧しく不自由な生活を強いられていた。

祖父は戦争によって命を落とし、親戚の家が燃やされるなど悲劇が続いた少年時代だった。

しかし、モドリッチ選手の父親がもともと機械に関するエキスパートであったことから仕事が見つかり、貧困から抜け出すことに成功。そのおかげでモドリッチ選手はフットボーラーの夢を追いかけることができた。

今ではモドリッチ選手の活躍で家族も裕福な暮らしを送っており、十分すぎるほどの親孝行を果たしている。

また、難民出身のフットボーラーとして、スイス代表のグラニット・シャカ選手、元ベルギー代表のクリスティアン・ベンテケ選手、元ポルトガル代表のナニ選手らとともに国連が定める「世界難民の日」にも積極的に参加している。

(c)Getty Images

「Football」と「Family」

2006年ディナモ・ザグレブへ復帰した年に現在の妻となるヴァンニャさんと交際をスタート。

2010年トッテナム在籍時に結婚し、現在は3人の子供にも恵まれ、幸せ溢れる生活を送っている。

「私はサッカーの試合でできるだけベストを尽くそうとしている。私はモデルや何かではない。私はサッカー選手だ。心の中にあるのは2つの“F”だけだ。(Football and Family)」

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アイドルは元ブラジル代表・ロナウド

自身が憧れる選手として、モドリッチ選手は元ブラジル代表の”怪物”ロナウドさんの名前を挙げ、こう語っている。

「成長してから、私の最初のすね当てにはロナウドの写真がプリントされていた。私はナイキ製品が大好きで、ロナウドが大好きだった。だからそのすね当てをプロとしてプレーしてから何年もつけていたんだ」

元ブラジル代表の”怪物” ロナウドさん (c)Getty Images

世界最高のMFとしてバロンドール受賞なるか

フットボールを愛し、家族を愛してトッププレイヤーとして活躍するモドリッチ選手。

今年、史上初のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)3連覇を達成したレアル・マドリードでもチームの“心臓”として活躍し、モドリッチ選手をCL3連覇の立役者として名前を挙げるファンも少なくない。

そのうえ、ロシアW杯のMVPを受賞したことによって、世界最高の選手に贈られる「バロンドール」受賞の期待もさらに高まっている。

史上最多の受賞回数を誇るC.ロナウド選手とメッシ選手が再び獲るのか、クラブと代表で素晴らしい成績を残したモドリッチ選手が初受賞するのか、はたまた他の選手の名が挙がるのか、バロンドールの行方にも目が離せない。

参考:https://www.transfermarkt.com/luka-modric/leistungsdatenverein/spieler/27992、https://lifebogger.com/luka-modric-childhood-story-plus-untold-biography-facts/

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