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■「今日から防具は着用しなくて良いから。鏡の前で素振りをしなさい」
それでも稽古は週3回、近所の警察でするようになった。七段が4人もいたが、私の相手ではなかった。そんな環境のため、必然的に傲慢な人間に私は変わってしまった。年に数回行われた大会でも、予選に出なくても選手に選抜されていた。
やがて、次第に力が衰え、出場する大会では期待を寄せてくれた人々を、失望のどん底に落としてしまった。私を周りで煽てていた人々は去っていった。
失望のどん底にいた私は、気分転換を求めて写真に走った。又、観音竹の栽培に手を染めたが、それらも心を癒やしてくれはしなかった。当時の私は、稽古こそしていたが、心の中は空虚な状態だった。奈落の底に落ち喘いでいたと言っても過言ではない。
先が見えなくなった私は、八段範士・池田先生の門を叩いた。
稽古を指導した池田先生は、言葉を失ってしまった。私の剣道はトリッキーな稽古で、剣道の本質からかけ離れていたのだ。顔を顰めた池田先生であったが、この日の指導は何もなかった。
翌日、府立体育館での稽古に向かった私は、池田先生から驚愕の言葉を聞いた。
「今日から防具は着用しなくて良いから。鏡の前で素振りをしなさい」
以前の私だったら「馬鹿野郎」と言い残し、退散していたはずだ。しかし、迷いの中にいた私は、藁にもすがりたいという惨めな気持ちだった。
渋々、鏡の前で素振りを始めたが、鏡の中の私は初心者そのものだった。四段を所持していた当時の私は「なんで? なぜ?」と、心の中で呟いていた。
自分が情けなくなった私は「先生、体の調子が悪いので帰ってもよろしいですか」と告げ、11月の風に傷ついた心までも冷やしながら涙を流し帰宅した。
翌日の私は、池田の指示通りに鏡の前で愚直に素振りを繰り返していた。しかし、何日も繰り返していたが池田は私に声を掛けなかった。時折素振りを繰り返している私の前を通り過ぎても、チラッと見るだけであった。私はひたすら素振りを繰り返すだけだった。
■再び「剣」と向き合う心
翌年の1月の末、「良くなったね。明日から防具を着けなさい」と告げられた。
鏡に映る自分の素振り姿は、決して完全ではなかった。躊躇している私に先生はこう言った。「その気持ちが大切だよ」。
翌日、池田先生の指示通りに防具を着用した。剣道がこれ程楽しいモノだとは思った事がなかった。私は生まれ変わったのだ。
また、稽古の内容は、これまでの様なトリッキーなものではなかった。大きく振りかぶる面技と、突き技が中心であった。これは先生が意図する武道専門学校の戦法だった。
夏に行われた試合で、私は中堅のとして出場することになったが、会場で私を知っているほとんどの選手は冷たい目を向けていた。懲りもせず、まだ剣道をしているのかと思っていたようだった。しかし、その思いは、一瞬で消し飛んだ。
「あれがあの河上か? 本当にあの河上か? 信じられない」
私は王者のような戦いをしていた。観衆の目が私に注がれているのを知っていた。元々、目立つ事が大好きな私は、それがたまらなく嬉しく、余計に自分をアピールしていた。火事場の馬鹿力というか、自分の力以上の戦いぶりだった。
翌年、五段を受験したが、数人、私を慕う者もできていた。中には受験している私の姿をビデオカメラで写す者までいた。審査中は観客からどよめきの声が聞こえた。その声は審査を受けている私の耳にも達した。これ以上はない声援になっていた。私は容易に2人の相手を打ち破り、昇段を果たした。
■甘くはなかった六段受験
その後も、週7回と稽古を詰めていた。この稽古量ならば、六段も容易に合格すると思っていた。しかし、世の中は甘くない。
初めての六段受験で少しは緊張していたが、余裕で臨んでいた。しかし、神様は微笑みを忘れていた。次の回も、更に次の回も不合格に泣いた。数えること、実に5回になっていた。稽古を積めば合格するという神話を信じて、週7回もしていた。それが仇になったようだった。
ある審査、対峙した相手を一方的に打ち負かした。審査が終了した後は、友人達からの握手攻めにあった。六段審査がどのようなものかを知らない単純な私は、この時も合格を確信していた。しかし、数時間後には、うなだれ、重たい防具を背負って、家路につくしかなかった。
「先生、僕に打たれた相手が合格しました。なぜ、僕が合格できなかったのか理解できません」
翌日、池田先生に不満をぶちまけると、こう諭された。
「たとえ打突しても、打ってはいけない時に打ったようだね。それでは審査員は評価しないよ」
この時まで、このような注意はなかった。その場では納得した様な顔をして下がったが、心の中では「なぜ」と叫んでいた。その日から、忠告に従い稽古に励んだ。そして、次の審査で合格をした私は、発表の際に涙を流していた。女々しいかも知れなかったが、人に何を言われようとも気にはしなかった。
■自分自身を見失わず、ついに七段に合格
私の剣道は成長した。これまでの優柔不断な稽古ではなく、さらに厳しい稽古になっていた。稽古の虫が更に変貌していった。試合では大将として出場することも増えたが、以前のような戦いではなく、相手を威圧しての戦いだった。私の周りには煽てるような輩もいたが、自分を見失うことはなかった。私の敵は自分自身だと気付いたのだ。
やがて、七段受験の時期となった。この時は稽古量を減らし、内容有る稽古にシフト。年甲斐もなく毎日稽古をすることは体に悪く、間違っている事に気付いたためでもあったが、とある先生からは、受験するのであれば稽古量が足りないとのアドバイスもあったが、礼を言って相手にしなかった。
3回目の七段審査を東京日本武道館で受験した。そして、圧倒的に相手を打ち負かした。結果は合格であった。
私は、帰りの新幹線の中から父に電話をしていた。
「親父、合格した。本当に合格した」。私は泣いていた。父も声を出して泣いていた。
仕事を終えた後、疲労を抱えて受験していた。1日か2日、仕事を休んで受験すれば、容易に合格できたはずだった。だが、甘えた生き方をしなかった。父が何度もこの事を言ったが、信条として自分で妥協はできなかった。そして、念願の七段合格を果たしたのだ。
父に報告し、もう一人の大切な人にも電話を入れた。
「先生! お陰で七段合格できました。今後ともご指導よろしく願いします」
先生からは「おめでとう」という簡素な言葉のみだったが、私には充分だった。
■人生の集大成として、必ず八段に合格すると信じて
七段に合格してからは、後進の指導に携わることもあったが、剣道への勢いがなくなった。大きなハードルを越えたためだったが、しばらくすると次の段位である八段を目指して始動した。
8年後、受験資格を得た私は審査に臨んだが、対峙した両人に完膚なきまでに撃破された。これまでの審査では経験したことがなかった惨めな審査だった。だが、対峙した両人も不合格に終わっていた。
それでも、このでき事が、私の負けず嫌いな魂を揺さぶった。
「何が何でも八段に合格してみせる」
剣道の虫は、必死に成虫となるべく日々努力をしていが、神様はまだ微笑みを投げかけてくれはしなかった。それでも、人生の集大成として、必ず八段に合格すると信じて、今も前に向かって歩いている。















