【スポーツ回顧録】記憶に残る平成のスラッガー、松井秀喜の国民栄誉賞

松井秀喜 (C)Getty Images

1995年シーズンがスタートした当時、MLBでの議論の的は「日本人選手はメジャーで通用するのか否か」だった。野茂英雄近鉄バッファローズを任意引退という形でロサンゼルス・ドジャースに入団した年だ。

野茂が勝星を重ね、米誌「スポーツイラストレーテッド」の表紙を飾り、MLBオールスターナショナル・リーグの先発として出場すると「日本人の投手は通用するが、打者は通用しない」という議論にすり替わった。当時、ニューヨークに住んでいた筆者は、スポーツバーで何度この議論を繰り広げられたことか。

米誌「スポーツイラストレーテッド」の表紙を飾った野茂英雄

当時、アメリカ人の知る日本人打者と言ったら、Sadaharu Ohしかいなかった。「いくら王貞治が偉大だとしても、メジャーであのホームラン数は無理だ」、「日本人にはパワーがない」と何度批難されたことか…。

そんな時、前年に日本新となるシーズン最多安打を記録したイチローを思い出した。「ホームラン数では難しいかもしれない。しかし、日本にはイチローという打者がいる。ピート・ローズみたいなタイプでヒットを重ねることができる」と説いた。さすがのアメリカ人も知らない打者について語られ、しかも、それがホームランではなくヒットの数と言われると「それはそうかもな」という尻つぼみなコメントに終わるか、「イチローって誰だ」というひと言で片付けあられたものだ。

21世紀の今、「Ichiro, who?」とコメントしたアメリカ人に説教を垂れたい思いだ。

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■「日本人スラッガーは通用しない」とは言わせない実績

2001年、イチローがシアトル・マリナーズに入団したことで筆者の「予言」は、現実のものとなる。同年アメリカン・リーグの首位打者となり新人王を獲得、シーズンMVPに輝く。2004年には262安打でMLB年間最多安打記録を樹立、2007年にはオールスターのMVPとなり、もはや殿堂入りが噂されるほどとなった。

だが、まだ日本人スラッガーが通用するか、証明されてはいなかった。前回、松井引退時の記事でも記した通り、日本での活躍は当初から予感はあった。果たして、メジャーにおいて、パワーヒッターとして通用するのか、確信が持てなかった。

2003年、ヤンキースタジアムでのホームデビュー戦でグランドスラム弾を放ち、やはりゴジラがただならぬ存在であることは示せた。そのシーズン、松井は、打率.287ホームラン、16本、打点106に終わった。もちろん、レギュラーとして定着、100打点を挙げたことで、その実力を示したが、ゴジラらしいシーズンと言うのは難しかった。

日本人スラッガーは、メジャーでは難しいのか…そういう疑念は常について回った。松井に対する期待は、それほど大きかったとも言える。

さすがに松井は、翌年MLBにアジャストする。2004年、打率は.298と3割目前、ホームランも31本とほぼ倍増、打点は108点とした。何よりもセイバーメトリックスの指標とされるOPS(On-base Plus Sluggingの略であり、出塁率と長打率を足した数値)では、前年の.788に比べ、.912に跳ね上がる。2005年にはシーズンを通し安定した打撃を見せ、打率も.305と3割に乗せた。ちなみにOPSについては、エンゼルス時代まで、ほぼ.800を上回る数字をキープ。スラッギング率もヤンキース時代は、五割前後をキープ。「日本人スラッガーは通用しない」とは言わせないだけの数字を残した。

しかし、2006年には左手首を骨折、51試合の出場に留まる。2007年には右膝を、2008年には左膝を手術。このケガは確実に松井の選手生命を短くした。

たび重なるケガに屈することなく2009年、ゴジラは復活を果たした。膝に故障を抱えたことにより、逆にこのシーズン、指名打者として定着。一年を通し、故障者リスト入りすることなく、実動できたことが、さらにポストシーズンでの活躍に繋がった。

■イチローは記録に、松井秀喜は記憶に残るスーパースター

3勝2敗でニューヨークにフィラデルフィア・フィリーズを迎えたワールドシリーズの第6戦、2回裏、アレックス・ロドリゲスを塁上に置き先制のツーラン。1点差につめよられた3回の裏にも満塁で打席に立った松井は、センター前に綺麗に弾き返し2点をダメ押し。5回には、この回にタイムリーを放ったテシエラ、再びロドリゲスを置き、2点ツーベースを放った。ヤンキースが9年ぶりにワールドシリーズ制覇を決めた7得点のうち実に6打点を叩き出し、MVPに輝いた。

ワールドシリーズMVPである。日本人打者は通用するのか…そんな議論が陳腐化した瞬間だった。胸がすく思いだった。

残念ながら、ヤンキースとしての松井はこの試合が最後となるが、2010年、新入団したロサンゼルス・エンゼルスの公式ホームページにもあるよう、ポストシーズンでの勝負強さが光る。ヤンキースでの7年、レギュラーシーズンでは打率.292の597打点、140本塁打、長打率は.482。しかし、ポストシーズンでは56試合に出場し、打率.312、10本塁打、39打点を挙げ、長打率は541と跳ね上がる。野球殿堂入りも目されるアレックス・ロドリゲスが、2012年まで75試合のポストシーズンながら、打率.263、13本塁打、41打点、長打率.464であることを考えると、勝るとも劣らない勝負強さが光る。

かつて、王貞治は記録に残る選手、長嶋茂雄は記憶に残る選手とされた。そして、今、イチローは記録に残り、松井秀喜は記憶に残る選手となった。こんなワンフレーズにも長嶋と松井の師弟関係を感じさせる。

松井は今日、11年ぶりに東京ドームのグラウンドに立ち、引退セレモニーで「またいつか、みなさまにお会いできることを夢見て出発したいと思います」と語った。

MLBの舞台においても日本人プレーヤーの夢をかなえてくれた松井秀喜、これからも、また次の夢を見させて欲しいもの。

2021年の今日、その夢はまさに大谷翔平に引き継がれているのだろう。

Yahoo!ニュース個人 2013年5月5日掲載分に加筆・転載

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。


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