2018年9月16日に開催されたベルリン・マラソンで、2時間1分39秒の世界記録で優勝を果たしたキプチョゲ選手。世界記録を樹立して以降、初の来日を果たし、11月9日には報道陣の取材に応じた。
2012年よりマラソン競技に転向。これまでマラソンを11度走り、2016年リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得したことを含めて全部で10勝。一度だけ2位だったが現在9連勝中と、完全なる無双状態だ。
真の成功者とは
これだけの功績を成し遂げてきているキプチョゲ選手。総賞金額も相当なものだ。角度を変えれば「一生お金に困ることのない成功者」という見方もできる。
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しかし、数々のメディアで報じられているところによれば、いまでもキプチョゲ選手はトレーニングキャンプでは自らトイレ掃除をしたり、葉っぱを拾ったりするような雑用も喜んで行う謙虚な人格者だという。
キプチョゲ選手のコーチであるパトリック・サング氏も、「私は彼のコーチができてラッキーだ。信頼関係もある。トレーニングもチャレンジ精神にあふれている。あたたかい心をもって仲間に接する素晴らしい選手だ」と同選手を賞賛していた。
筆者はいわゆるバックパッカーとして半年間ほど海外放浪をしていたことがある。その期間に、投資で一山当て大金を手に入れ、それから海外を放浪し続けている旅人に会い、話を聞く機会に恵まれた。
私から見れば彼はいわゆる「成功者」であったが、彼曰く、本当の成功者は「大金持ちになってからも、それまでと変わらずビジョンを持ち続けられる人」のことを指すらしい。
「宝くじを当てたら、すぐにそれまでとの生活スタイルが変わりどんどんおかしくなっていく人が多いと聞く。そうでなくても、暮らしの質はそこまで変わらなくても、小金持ちになって生活の心配がなくなると情熱を失ってしまう人もいる。お金を手に入れても、ビジョンを持ち続けられる人はそう多くないよ」(旅人の発言)
こうした意味でも、キプチョゲ選手は真の成功者と言えるだろう。数々の偉業を成し遂げたあとも、質素でストイックな生活を昔と変わらず続けている。今後の記録更新についても、「自分の限界は、自分で設定しない」と発言するなど、常に上を目指し続けている姿勢が読み取れる。
2017年5月6日、イタリアのモンツァ・サーキットにて行われた、ナイキの「ブレーキング2」で史上初のマラソン2時間切りプロジェクトに参加したキプチョゲ選手。非公式ではあるが2時間00分25秒を記録し、「不可能は可能であるということを知った」と発言した。
上記は一例だが、このように人類の潜在能力の限界に挑み続けているキプチョゲ選手。ストイックな生活を続け、かつ謙虚に前向きな姿勢を保ち続けられる所以は、一体どこにあるのだろうか。
準備とは、「日々の生活」から
まず、自身の哲学が確立していることが挙げられるだろう。来日中、一貫してキプチョゲ選手が話し続けたのは「準備」の大切さだった。
11月10日に駒澤大学で行われた日本の陸上競技選手やコーチに向けたトレーニングセッションでも、「大切なのは、準備をしっかりすること。勝つことは大事じゃない。いかに(勝つための)準備をするかということが大事」と明かしていたが、「勝つことより準備が大事」というのはかなり特徴的な発言ではないだろうか。
準備の大切さを知っているからこそ、普段の生活スタイルやリズムを変えることをしない。少しの生活の乱れが、大事な勝負の時に影響してくることを知っているからだろう。
こうした意識は、日本のランナーに向けた「自分を信じること。そして、コーチのプログラムから大事なことを理解して、優先順位をつけて、きっちりとした生活を送ること」というアドバイスからも見て取ることができる。
ランナーのためのアドバイスの場面で、「きっちりとした生活を送ること」という生活レベルにまで踏み込んでいることこそ、日々の生活が競技にも大きく影響することを意識していることの表れではないだろうか。
走ることが、好き。
また、当たり前ではあるが、本人の「走ることが好き」という気持ちも大きい。インタビュー中、何度も「走ることが好き」という言葉が飛び出した。
「ここ数年で進化し記録を出し続けている理由」「常にトップでいられる理由」などの質問に答えるときも、返答にあったのは「走ることが好き」だという発言だった。
世界トップの陸上選手と比較しても、これほど嫌味なく「走ることが好き」と言い切ることができる選手はそう多くないのではないか。
「走ることも、マラソンも好き。マラソンは世界中の人に感動を伝えることができるので好き。マインドをしっかりと持って、気持ちよく自分を信じてスポーツをやっていればいい仕事ができる」
東京オリンピックへも意欲
2020年に開催される東京オリンピックについても「やることリストに載せてあります」と意欲を見せる。
暑さが懸念されるが、その対策についても「普通に練習する。みんな同じ状況でレースをするからそれ(暑さ)は大丈夫。もちろん普通の天気が一番いいが、天気が悪くてもレースはレース」と流石の返答だった。
ナイキのサポートに対する感謝の念
世界記録樹立を成し遂げられたのは、本人だけの力ではない。ナイキからのサポートを受けていることも、感謝の意を込めてインタビューでは何度か言及していた。
その一つが、ナイキ史上最速のシューズであると謳っている「ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4% フライニット」の力だ。
「地面の衝撃を吸収し、快適なソールであるし、そこに加えてリカバリー、回復が早い」とインタビュー中でもこの常識破りの厚底シューズに対する感想を明かしたが、これをベースにしたシューズを履いて、キプチョゲ選手はベルリン・マラソンを走りきった。
「ナイキから色々な意見をもらって、そしてこちらからも意見を提供して。やりとりを毎日してサポートをもらっています。ナイキからのリクエストは早くて、とても面白い」
これからも自身の限界に挑戦しつづけるであろうキプチョゲ選手の素顔を、少しだけ覗くことができた気がした。
(文=大日方航)
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