先日のホームラン打者の歓迎パフォーマンスと優勝直後のナンバーワンポーズに触れたが、これ以外のパフォーマンスについて、移り変わりは見受けられる。今回は投手をめぐるものだ。
◆ナンバーワン・ポーズに兜や金色のダンベル……今昔の野球パフォーマンスについて考える
■野茂英雄のポーカーフェース
ひとつは、味方のファインプレーが出たときに投手が感謝の意を全身で表現することである。ほんの20年くらい前はこういうことはあまり見られなかった。
野茂英雄の映像を思い出してもらえるだろうか。味方がどんな美技を見せても、「そのくらい大リーガーなら捕って当たり前だろ」というような顔をしていた。彼はもともとポーカーフェースを貫く投手で、味方の失策にも不満な顔を見せたりはしなかったし、試合が終わるまで喜怒哀楽は出さなかった。私自身は彼が頭上で両手をたたいて野手に感謝を表す動作を一度も見た覚えがない。
もちろん野手に抱きついて感謝したいような「助かった」というプレーはあったはずだが、彼に限らず、今のように全身で野手をたたえるポーズはあまり見られなかった。最近は大リーグでもプロ野球でもやらないことには変わり者に見られるのではないかと思うほどである。これはこれで野手も嬉しいだろうし、チームの一体感を高めるものかもしれない。誰が始めたのかはわからないけれども、侍のような野茂の表情を思い出すたびに、高いレベルで野球をやっている選手同士でこのような大げさな感謝の意思表示をする必要があるのかなと思ってしまう。ダッグアウトに戻ってからその野手の耳元で「ナイスプレー、助かったよ」とひとこと言えばいいのではないかと思う。野茂はどう思っているのだろう。
もうひとつは、チェンジのときと降板するときに、ダッグアウトの野手が投手に手を合わせるようなタッチで迎えることである。これも昔はなかった習慣である。
絶体絶命のピンチにリリーフでマウンドに上がり、見事な火消しをしてダッグアウトに向うときならまだわかる。失点して戻ってくるときに手を出して迎えるほうもためらいがあるのではないか、投手だって気が進まないのではないか、と私は察しているのだが、無失点ならやるが1点でも失えばやらないと線を引くのも変だし、手を出して迎えている仲間に対してタッチを拒否するようなことも角が立つだろうし、そういうことならいっそのこと場面にかかわらずやめてはどうか、とここでも私は思う。
試合中に利き手で他人の手に触れたくない、というデリカシーをもっていてもおかしくはない。投手にとって、常人にとっては理解されがたいほどの「聖なる手」だ。前回の本欄と同じ言葉を使わせてもらえば、野手に対する感謝のポーズも降板時のハイタッチも、いずれも投手は「めんどうくさい」と思っているのではないかと察している。
■パフォーマンスと試合時間短縮
東京六大学野球では監督、審判、マネージャー、そして私たち公式記録員をふくめた会議が年度初めに召集され、いろいろなパフォーマンスも含め話し合っている。試合時間短縮など、学生野球らしいきびきびとした試合運びを旨とするものだ。
今年のセンバツで一部の高校が試みて高野連が「不要なパフォーマンスやジェスチャーは従来より慎むようにお願いしてきた」と発信してきたけれども、東京六大学では連盟から言われるまでもなく、各大学がその方針を貫いている。
大学野球の全日本選手権、決勝戦は東京六大学代表の明治大学と東都大学代表の青山学院大学の対決だった。この試合の観戦者のうちどのくらいが気づいたかわからないが、青山学院の控え選手は投手を近くまでタッチで出迎え、明大の選手は円陣の場所で集まっただけであった。
特に東都側を批判する気はない。
いずれの習慣についても、投手が望んでいるようにも思えないので野手の理解を得たうえで廃止してはどうか、というのが私の「提案」である。
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著者プロフィール
篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授
1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。