【スポーツビジネスを読む】日本最大級スポーツサイトのトップ・山田学代表取締役社長 前編 MLB公式サイトをめぐる冒険

 

■MLB公式サイトの運用に奔走、責任者と直接交渉も

こうした、ともすればやや牧歌的な業務が一変したのは、ISM入社から1年後。「上司から突然『明日はスーツを着て来てくれ』と言われまして、5、6人で打ち合わせに参加すると、サイバーの藤田さん(株式会社サイバーエージェント藤田晋取締役社長)がいらっしゃり、まさに『よろしく』という感じでした」。

これがきっかけとなり山田さんは21世紀、日本におけるMLBネット史には欠かせないキーパーソンとなる。

毎朝、NHKで大谷翔平選手の活躍を視聴できるのは、NHKがMLBの放映権を取得し、オンエアしているから。ネット時代の到来とともに放映権同様、「インターネット権」なるものが確立、当時サイバーエージェントが日本におけるこの権利をMLBから取得、サイバーの子会社という立ち位置にあったISMが「MLB公式サイト」の運用を担当する運びとなり、英語堪能でもある山田さんにその白羽の矢が立てられた。

サイバーエージェントは2003年のシーズンインからMLB公式サイトを運用。「そのためにボクがニューヨークへ初めて出張したのは2002年の夏でした。サイバーの一員として、BAM(バム)に3週間滞在しました」。瓢箪から駒……としたら失礼だろうか。山田さんの「アメリカに住みたい」という夢は、KDDではなく、こんな顛末で結実した。

BAM」とはMajor League Baseball Advanced Media(メジャーリーグ・アドバンストメディア=MLBAM)の略称。MLB関係者は、この後ろ3文字だけを切り取り「BAM」と呼ぶ。MLBAMが設立されたのは2000年。インターネット・ビジネスを外部委託していたMLBは、その機会損失に気づく。当時のバド・セリグ・コミッショナーの鶴のひと声で、MLB全30球団よりそれぞれ年100万ドルの出資が決まり、子会社としてニューヨーク市マンハッタン区チェルシーに設立、MLBの「ニューメディア」ソリューションを一手に請け負った。

現在では米『Forbes』誌が、「最大のメディア会社」と揶揄するまでに成長したMLBAMだが、2002年当時はスタッフ50人ほどという規模だった。

こうしたスポーツ権利ビジネスの興味深い点は、権利料を支払った「客側」よりも、IPを保有する権利元が常に交渉上立場が上になりがちなこと。「お客さん」であるはずの山田さんが、ひとりしゃかりきに走り回る図式だった。

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MLBの日本担当はいたものの、交渉の場では各領域の責任者と直接交渉するしかなかった。「そのせいで、窓口役をひとりで全部やらされました。まずはいきなり英文での契約です。法学部出身でしたがこの時、初めて役立ちました。ただ、英語での独特の言い回しなど読み解くには非常に苦労しました。おかげで大変勉強になったのは確かですし、今もその経験は役立っています」。

だが、BAMにひとり身を投じた形ゆえ、それだけでは終わらない。「条件交渉の次は、実際に送られて来るスタッツ・データの連携にもひと苦労、(日本語サイトとは言え)デザインひとつとっても逐一、承認を得なければなりません。直接ボウマン(Robert Bowman COO)に掛け合ったことも一度や二度ではありません」。

こうした山田さんの労苦はさぞかし報われたことだろうと思いきや、「2003年のシーズンがスタートし、ひと月後に急遽サイバーエージェントが事業撤退することになり、さらにひと騒動になります。PC上でのサービスは撤退、携帯での有料課金サービスは当時、朝日ニッカン(朝日新聞と日刊スポーツ)と協業してましたので、上司も総出で状況を説明し何とか理解を得ました」。

山田さんにとって、BAMとサイバーエージェントの契約が切れるまでの1年半にわたる狂騒曲、なかなか他では耳にできない話題だ。

「その後、何度もBAMには足を運びましたが、その間に立派なスタジオが完成し、MLB.tvがスタートし、インスタント・リプレーもチェルシーで一括して行うことになり、その後、MLBだけではなく、ホッケーやゴルフも、グッズ販売も手掛け急成長」、山田さんはそんなMLBAMを眺めて来た数少ない目撃者だ。

■数多の“社長”を輩出したMLB公式サイト

権利ビジネスは常に複雑だ。ISM時代の山田さんの上司が、マイクロソフトMSNプロデューサーだった筆者を訪れ、危機に陥っていたMLBインターネット権についてサイバーエージェントからサブライセンスしないかと誘い水を受けたのもこの頃。

その後、日本におけるMLB公式サイトは、「major.jp」というドメインを残したまま、電通が引き継ぎ、サイト運営をYahoo! JAPANが担当した。2007年には松坂大輔がボストン・レッドソックスからメジャー・デビュー。そのおかげで公式サイトはビジネス的に、なんとか面目を保てるほどの隆盛を見せたもの。この際、電通側の担当者は筆者、Yahoo!側の担当者が現・株式会社ヤプリ庵原保文CEO、だがこのコンテンツを下支えしたのが、やはり山田さんだった。

こうした業績が評価されないはずはない。山田さんはISMで役員にまで抜擢された。だが、コンテンツ畑が長かったためか、また役員という立場で現場から少し距離ができてしまったためか「(会社の切り盛りよりも)もう少し(スポーツ)ビジネスにかかわる経験が欲しく、かつアメリカの4大スポーツに関わっていたかった」とモチベーションから、J SPORTSへと転籍、主にデジタル領域全般に携わることになった。

J SPORTSは基本的に放送局、しかし放送局のビジネス多角化はすでに常識となっていたため、放送以外の全事業に触ることになった。DVDやグッズ販売などのeコマース、さらにデジタル配信の事業計画策定など、コンテンツだけではなく、ビジネス領域を広げるに至った。

しかし、パフォーム社がDAZNをスタートするなど時代はOTTへと移っていく。DAZNのJames Rushton CEOとの接触もあり、しかもソフトバンクグループ株式会社が「Yahoo!で自前でOTT立ち上げるぞ」という決断に至り、「スポナビLIVE!」をスタートさせた。

それと前後して、山田さんは2014年7月にスポーツナビ株式会社(当時、ワイズ・スポーツ)に入社。当時は現在Jリーグの杉本渉IT企画室長が同社社長を務めていた。実は杉本さんもかつて、スポナビのメンバーとして、major.jpのコンテンツ制作に携わっていたひとり。当時、本プロジェクトの責任者は、その後Yahoo! JAPAN代表取締役社長に就任した宮坂学現東京都副都知事)。そして2018年、ついに山田さんも代表として現職に。

MLB公式サイトはいったい何人の社長を輩出しただろう。世界的なIP、MLBの業務は、ビジネスの根幹を習得するに最適な演習場だったのだろうか……。

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist