【スポーツビジネスを読む】ラグビー新リーグで世界一のクラブを目指す 静岡ブルーレヴズ山谷拓志代表取締役社長 前編 シーガルズで学んだ日本一の組織作り

 

■独立法人化したシーガルズと契約

山谷さんはここでリクルートを退社。チームにはコーチとして携わる傍ら、独立法人化したシーガルズと営業責任者として契約し、スポンサー獲得に動くことになった。当時、山口県にあったユニクロの本社に飛び込みで営業し、玉塚元一さん(現・ロッテホールディングス代表取締役社長)へのセールスを図ったり、旭化成に売り込んだりと精力的に動く。

一方、「スポーツをビジネスにするのは、どうすればいいのか」とも考え、故・広瀬一郎さんの著作などを読み漁り、またスポーツ分野の専門家を訊ねるなど「壁打ち」を繰り広げたという。

チームロゴとエンブレムを発表する山谷拓志さん (C)静岡ブルーレヴズ

こうした活動が実り2003年には「オービック・シーガルズ」とチームに冠スポンサーを戴く結果となる。こうしてシーガルズの活動が落ち着いた頃、リクルート時代の人事担当、前述の小笹さんが2000年に設立した新会社「リンクアンドモチベーション」に転職。同社は「モチベーション」をテーマとした経営コンサルティング会社。山谷さんは2005年にスポーツマネジメント事業部長として招聘された。これが山谷さんの「スポーツビジネス」への関与がより深まる契機となるのだから、キャリアの流れとは興味深い。

同社が持つ研修プログラムをスポーツチーム向けにアレンジ、各チームへの営業をスタートさせた。コーチ向けのコミュニケーション研修、プレーヤー向けのモチベーションコントロール研修、さらにセカンドキャリアデザイン研修などこうした具体的な商材を元に、各チームへと出向くことに

2005年には、神戸製鋼サントリーコカ・コーラ・ウエストなどと契約、チームビルディングなどについてサポート。ヤマハ発動機からも声がかかり静岡県嬬恋で選手向けのリーダーシップ研修を実施。。さらに選手のリクルーティング用パンフレットの制作も担当した。これが2021年への布石となろうとは当時、想像もしなかった

2007年、「大塚商会アルファーズ」を母体とし、そのライセンス譲渡を受けプロバスケットボールチーム「栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)」が設立された。(その後、同名チームは、関東実業団で第2期の活動を再スタート。現在、越谷アルファーズとして活動中)。

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同年にリンクアンドモチベーションとしてスポンサー契約を締結。当時コンサルタントを務めていた山谷さんに白羽の矢が立ち、そのままチームの代表取締役社長に就任となった。

ここから山谷さんは経営者として表舞台に立ち、ご存知お通りの大車輪の活躍となる。

栃木ブレックスは、07-08シーズンJBL2の初代王者となり、1部に昇格。山谷さんはGMも兼務し、08年には日本代表・川村卓也、元NBAフェニックス・サンズ田臥勇太を獲得とその手腕を発揮。設立3年目となる09-10シーズンに初優勝を成し遂げた。

インタビューを受ける山谷拓志さん(写真:編集部)

13年6月、NBL(日本バスケットボールリーグ)専務理事COO就任のため、山谷さんはチームを離れるが、ブレックスは日本バスケ界再編で誕生したBリーグでも初代チャンピオンに。山谷さんは14年11月、経営破綻した現・茨城ロボッツの再建のため、NBLから同チームの社長に。21年にロボッツのB1昇格を実現すると、この7月、ラグビー新リーグに参入する「静岡ブルーレヴズ(旧・ヤマハ発動機ジュビロ)」の社長に就任した。

アメフトからバスケ、そしてまたラグビーへの転進……、後編ではこの経緯を訊ねる。

◆【インタビュー後編】経営者として常勝を支える理念とは……

◆【スポーツビジネスを読む】アマチュアを支援するメディア「スポーツブル」黒飛功二朗・運動通信社社長 前編 「Sk8er Boi」が代表取締役になるまで

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著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

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