内田篤人は清水東高校出身!意外にも高校サッカー選手権の出場経験がない

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30歳を過ぎてなお活躍する内田篤人選手。高校時代は静岡の名門・清水東高校のサッカー部でプレーしていた。

清水東高校出身

お茶どころの出身だ。(c)Getty Images

内田選手の出身高校は、静岡県立清水東高校。昔からのサッカーファンにとって、清水東高校は名門として記憶されている。

内田選手は、中学校時代に静岡県選抜に選ばれたような、飛び抜けた経歴がない。しかし、元々静岡県中部、つまり清水の強豪校を志望していたようだ。

当時のチームメートには現在のJリーガーもいた。ロアッソ熊本の多々良敦斗選手は同級生。2学年上にSC相模原の菊岡拓朗選手がいた。しかし、内田選手在籍時の清水東高校サッカー部は大きな大会には縁がなく、結局全国高校サッカー選手権には出場できなかった。

清水東高校入学当時の内田選手は、俊足が売りということもあって、ウィングが主なポジションだった。

しかし、伸び悩んでいた高校2年生の時、清水東高校のOBであった当時の梅田和男監督により右SBへコンバートされる。するとメキメキと頭角を現し、鹿島アントラーズの入団につながった。

1980年代の清水東高校は強豪校

1980年代の清水市には、清水東高校・清水市立商業高校(現在は閉校)・東海第一高校(現在は東海大学付属静岡翔洋高校)と、全国大会でも優勝を狙える3つの高校が凌ぎを削っており、毎年のように静岡県代表の座を争っていた。

しかし、清水東高校のユニフォームは当時から上下とも青。清水東高校の伝統的なユニフォームとして今でもサッカー少年の憧れの的らしい。

ところで、清水東高校を全国区に名声がとどろいたのは、何といっても1983年ことだ。当時のチームには4人のスター選手を擁しており、その内3人は「清水東三羽烏」として全国のサッカーファンを魅了していた。元清水エスパルスの大榎克己氏、堀池巧氏、長谷川健太氏である。

大榎克己氏は当時の花形スター選手で、華麗なプレイでファンを魅了。堀池巧氏は、まさに守備の要。

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現在FC東京の監督である長谷川健太氏は、抜群のスピードを誇るウィンガーとして観衆を沸かせていた。

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そしてもう一人のニューヒーローが、当時1年生の武田修宏氏である。当時としては日本で初めて出現したワンタッチゴーラーのストライカーで、こぼれ玉に詰める、ポジショニングの良さ、ゴール前の嗅覚といった言葉はこの頃から生まれていった。

当時のサッカーファンは、釜本邦茂以来のストライカーとして、ずいぶんと武田氏のことを祭り上げていたほどだ。

1983年全国高校サッカー選手権の決勝、東京の国立競技場で行われた帝京高校対清水東高校の観客動員数は6万2000人だった。これは国立競技場史上最多動員数。競技場外でも1万人以上が取り囲んで、ラジオ実況に熱狂するといった、当時の日本サッカーの低迷を知る世代からして考えられなかったほどのフィーバーぶりだったのである。

ちなみに、6万2000人の観客動員数は現在も破られていない。

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