【MLB】歴代最多サイ・ヤング賞7度のロジャー・クレメンス、野球殿堂入りならず……その最後の来日を振り返り、功績を惜しむ

 

【MLB】歴代最多サイ・ヤング賞7度のロジャー・クレメンス、野球殿堂入りならず……その最後の来日を振り返り、功績を惜しむ
ヤンキースなどで通算354勝を挙げたロジャー・クレメンス(C)Getty Images

シーズン中の大谷翔平の大活躍に一喜一憂する日本の野球ファンにとって、ロジャー・クレメンスは忘れ去られた投手なのだろうか。史上最多7度のサイ・ヤング賞を獲得し「ロケット」の異名を与えられた豪腕投手は、資格取得10年を経た最後のチャンスに75%を超える票を得ることができず、野球殿堂入りを逃した。

511勝のサイ・ヤング以降、300勝以上を達成したメジャーの投手は24人。クレメンスはこれにより、基準とさえ言われる300勝以上を達成しながら、殿堂入りできなかった唯一の投手となった。

MLB300勝以上を達成した投手一覧(クレメンス以外はすべて殿堂入り)

軒並み殿堂入りを見送られた選手たちは、それまで罰則さえなかった禁止薬物を常用したとして21世紀に入ってから、時代の流れとともに非難にさらされるようになった。通算メジャー本塁打最多記録を誇るバリー・ボンズや年間最多本塁打を競ったサミー・ソーサらも同様。しかし、筋肉増強剤(ステロイドなど)の使用が、投手にどれほどの効能をもたらしたのだろうか。

クレメンスはレッドソックス、ブルージェイズ、ヤンキース、アストロズに在籍、24年間で354勝は歴代9位。防御率3.12、4672奪三振は歴代3位だ。日米野球には1992年、2004年と二度来日、ここではその最後の来日を振り返る。

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◆上原の盟友、デービッド・オルティスが殿堂入り ボンズ、クレメンス、ソーサは資格失う

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■2004年日米野球第1戦(2004年11月5日)

我々が見た投手は、ロジャー・クレメンスではなかった

本調子からはほど遠かった。ナショナル・リーグ優勝決定戦第7戦から約2週間ぶりの登板。来日して3日目の先発。そのどれを差し引いても、日本のファンが期待していた22番ではなかった。球速は140キロ前半、コントロールも定まらず、スプリッターの切れもない、とても「ロケット」の異名を持つ300勝投手の姿ではなかった。

4回2/3を投げ、81球で降板、ファンにとっても予想外だったが、おそらく本人にとっても不完全燃焼の投球だったろう。これがシーズン中のクレメンスなら、ベンチでイスを蹴り上げ、グラブのひとつも叩きつけていたような内容だ。被安打4つながら与四球は5つ、代名詞である三振も4つのみ。

だが、それでもNPBオールスターの打者たちは打ちあぐねていた。5回に四球2つを含む満塁機から、仁志敏久(巨人)のサードゴロのダブルプレー崩れと二塁手ジャイルズの失策がらみで2点こそ挙げたものの、野球をやらせてもらえなかった。「相手に対しては自分のできることを精一杯やった」。クレメンスをして「精一杯やった」と言わしめるほどの不調でも、打ち崩すことができなかった。2失点とは言え、自責点は1に抑えた。日本の打線はお粗末だったという他ない。

この日、クレメンス対NPB打線の見どころと言えば、わずかに2つ。

ひとつ目は3回、左前打で出塁した赤星憲広(阪神)とクレメンスの一塁上の攻防。仁志のファールで幻と消えた赤星の盗塁の後、クレメンスは赤星をにらみつけるように釘付けにし、4回目のけん制で赤星を刺した場面。勝気なクレメンスの性格が、現れた瞬間だった。ふたつ目は、2回、4回と先頭打者だった城島健司(ダイエー)が、見事にクレメンスのストレートを捉えて放った2打席連続ツーベース崩れだろう(2打席目は二塁で憤死。記録はシングル)。日本の打者がクレメンスに相対することができると信じさせるに値する2打席だった。

ひとつ目は、ボストン・レッドソックのデービッド・オルティスに「赤星をアメリカに持って帰りたい」と言わしめ、ふたつ目は後にシアトル・マリナーズの城島捕手を生み出した。

この時期、クレメンスはシーズン終了後に「99%引退する」と表明しており「ロケット」とNPB打線の勝負は、本シリーズが最後になるはずだ(注:クレメンスは現役続行したのもの、日本打線との対戦はこの年が実際に最後)。果たして160キロ近いストレートと、鋭いスプリッターを打ち崩すことができるのか。それとも12年前の来日の再現となり、日米野球の力の差を見せられるのか。次回第5戦(10日)、本来の「ロケット」鉄人右腕の雄姿を見たい。

MSNスポーツ 2004年11月11日掲載分に加筆・転載