ほとんどの人が、ネイマール選手は素晴らしいテクニックを持つ、世界有数のトッププレーヤーであることは知っているはずだ。しかし、彼の生い立ちについて知る人はそう多くないかもしれない。今回は、ネイマール選手の私生活や人柄について迫って見た。
1992年生まれ。リーグ・アンのパリ・サンジェルマンFCに所属。2016年にはリオ五輪にオーバーエイジ枠で出場し、金メダルを獲得した。
(Photo by David Ramos – FIFA/FIFA via Getty Images)
生後4ヶ月、車の事故から奇跡的に無傷で助かる
ネイマール選手がわずか生後4ヶ月だった時、凄惨な車の衝突事故から奇跡的に助かったという出来事があった。ネイマール一家が親戚の元を訪れるべく車を走らせていると、急な坂でスリップした1台の車が激突してきたのだ。
車の後頭部は見る影もない姿へと衝突事故で変わり果てたが、ベビーシートに座っていたネイマール選手は、奇跡的に無傷で済んだ。
貧乏だった幼少期
ネイマール選手は決してバラ色の少年時代を過ごしたわけではない。彼の父親は家族を養うために複数の仕事を掛け持ちしなければならなかった。学校に通いだしたタイミングでも、家には電気が通っていなかったため、ロウソクの光で勉学に励んだという。
父親が必死に家族を支えるために仕事に励んでいる時、ネイマール選手のサッカーの才能が芽吹き始めた。
ストリートサッカー・フットサルからキャリアをスタート
本格的にチームに入ってボールを蹴り始めたのは、フットサルプレーヤーとしてだ。少年期は、サッカーチームではなくフットサルチームに所属して、体育館の中でサッカーボールとは少し異なるタイプのボールで技術を磨いた。
その卓越した技術は観客を魅了した。ネイマール選手の父親は息子の才能を確信し、忙しい合間を縫って息子がプロ選手になるための道を懸命に支援した。忙しく貧しい中でも、両親は可能な限りネイマール選手のサポートに奔走した。
ネイマール選手の両親は「多分、運命はあなたにもっと私たちより両親を与えることはできたでしょう。でも、あなた以上に素晴らしい息子を私たちに与えることはできないわ」とネイマール選手に伝えている。
ネイマール選手の両親 (Photo by Jean Catuffe/Getty Images)
少年時代から順調なキャリアを歩む
ネイマール選手は11歳の時点で、サンパウロで最も優れたストリートサッカー選手の一人になっていた。ビーチやストリートで繰り広げられる卓越したドリブルスキルやゴールまでの道筋を確実に描くスピンをかけたシュートなどは、見るものを楽しませた。
12歳の時にレアル・マドリードの入団試験を合格したが、当時ブラジルのサントスFCがネイマール選手をひきとめるために高額な給与を提示したため、入団は叶わなかった。13歳の時にはロビーニョ選手の年末チャリティマッチに参加。試合はテレビ中継され一躍ネイマール選手も有名になった。
ネイマール選手は15歳の時点で月に10,000レアル(2018年7月現在、1レアルはおよそ28円ほど)、16歳の時には月に25,000レアルの収入があったという。
Barber: yo what you want?
Neymar: I really miss my childhood..
Barber: I got you. pic.twitter.com/8zG6WUKyTC— Gabe (@therealgabec_) September 26, 2015
17歳だった2008年2月10日、サントスFCとプロ契約を結び、違約金は5000万ユーロ(1ユーロは2018年7月現在でおよそ129円)に設定された。
2013年、ブラジル人ファンはネイマール選手がバルセロナFCにわずか5700万ユーロで移籍したことにショックを受けた。2017年には、パリ・サンジェルマンFCに2億6300万ドル(1ドルは2018年7月現在でおよそ110円)という歴史的な契約金で移籍した。
(Photo by Dan Mullan/Getty Images)
監督をクビにした事件の立役者…?
ネイマール選手がサントスFCでプレーしていた時、当時のドリバー・ジュニア監督をクビに導いた事件を起こしている。その事件は、ドリバー監督がネイマール選手にペナルティキックを蹴らせず、マルセロという選手を代わりに指名したことがはじまりだった。
ネイマール選手は、ベンチに帰った時に監督に激怒。その怒りは副審になだめられなければいけない程だった。のちに監督に謝罪したものの、監督は罰としてネイマール選手を試合で使うことを辞めた。
しかし、クラブの取締役会はその決定に満足せず、ドリバー監督をクビにすることにしたのだ。この時、ネイマール選手はクラブにとって必要なプレーヤーである以上に、ブラジルサッカー界の宝として見なされたことを証明した。
夜遊びの方法が特殊?
ネイマール選手は「Lord of night(夜の領主)」というニックネームをチームメイトに名付けられている。普段のネイマール選手の生活から名付けられたニックネームということで、私生活の様子がなんとなくわかる。
とはいえ、ネイマール選手の夜遊びは他の人とは異なる部分もある。一般的にはガールフレンドなどをパーティーに誘って連れて行くものだが、ネイマール選手の場合は母親を連れてパーティーに連れて行くシーンがしばし目撃されている。
「ママは家族を支えていた。優しい人で、ママがいなかったら僕の家族は崩壊するだろう。ママと僕はとても近い関係だ。兄弟が学校に通っていた時や、パパが家にいない時など、ママが家を支えていた」
(Photo by Jean Catuffe/Getty Images)
19歳でパパになる
19歳の時、幼少期から繋がりがあったカロリーナ・ダンタスさんとの間に息子のダヴィ・ルーカ君を授かった。彼女が妊娠している期間や、出産後もネイマール選手はずっと側にいて付き添った。入籍はしていないものの、今でも連絡は取り続けているという。
ネイマール選手はブラジルで、初のモヒカンスタイルで試合に登場したプレーヤーとなった。多くの人が彼のヘアスタイルを真似しようとしたし、ファッション雑誌で特集されることもあった。
ネイマール選手の髪型は、常に注目の的となっている。ロシアW杯でも、「ネイマールの頭にスパゲッティーを投げつけたのは誰だ?」と髪型について騒がれていた。
(Photo by Buda Mendes/Getty Images)
キリスト教の信者
幼少期からキリスト教の信者であり、今でも信心深い。イエス・キリストという存在を全ての行動の根底にある価値観として捉えることは、ネイマール選手にとって理に適ったものだという。
(Photo by Laurence Griffiths/Getty Images)
ポーカーの愛好家
ポーカーの愛好家でもあり、2015年5月7日にオンラインポーカーサイト「ポーカースターズ」のブランドアンバサダーに就任した。
愛犬の名前も「Poker」であり、ミネイロンの惨劇(ワールドカップ・ブラジル大会の準決勝、ブラジル対ドイツの試合でブラジルがドイツに1-7の惨敗を喫したこと)をテレビで観戦していた際には「こんなクソみたいな試合見たくない。ポーカーでもしようぜ」と言い放ったという。
(Photo by Mike Hewitt – FIFA/FIFA via Getty Images)
SNSでの発信も頻繁であり、FCバルセロナに所属していた時代は、SNSでプライベートを公開しすぎているとして注意を受けたという。ブラジルW杯後は、仲間とポーカーに興じる姿を掲載するなどし、話題となっていた。
参考:https://lifebogger.com/neymar-childhood-story-plus-untold-biography-facts/、https://www.celebrities-galore.com/celebrities/neymar-da-silva-santos-junior/home/
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